サクラアンプルール

サクラアンプルール メイン画像1 (C)JRA

重賞競走

  • '17 札幌記念 G2

プロフィール

  • 父: キングカメハメハ
  • 母: サクラメガ
  • 品種: サラブレッド
  • 性別: 雄
  • 毛色: 栗毛
  • 生年月日:2011年03月04日
  • 母馬所有者: (株)さくらコマース
  • 生産牧場: 谷岡スタット
  • 産地: 北海道日高郡新ひだか町
サクラアンプルール メイン画像2 (C)JAIRS

Catch up with Your Old Heroes 今、あの馬はどうしてる?

元気に過ごしています。見学の際は一歩引いて、馬との安全な距離を保ってください。

情報提供者:繋養者

Location & Conditions for Visitors 繋養者・見学条件

(C)JAIRS 撮影日 2024年11月13日
繋養場所
〒056-0144 北海道日高郡新ひだか町静内田原666~4
 
新和牧場
TEL
0146-46-2121
HP・SNS等
新和牧場facebook
展示時間
13時30分~15時30分
連絡予約
前日まで
見学方法
自由見学
厩舎内への立ち入り
不可
備考
見学の際は、事務所で受付、説明を受けてください。
電話は、月~土曜日の9:00~17:00まで対応可能です。
雨傘・日傘は、使用をお控えください。
雨天時は、雨合羽の使用をお願いします。
看板がありませんので訪問される方は、場所を確認してご来場をお願いします。
牧場のFacebookでも見学を受付しております。

Pedigree 血統表

Race Record 競走成績

着順 日付 レース名 競馬場 芝ダ 距離
1 2017年08月20日 札幌記念 G2 札幌 2000
2 2017年02月26日 中山記念 G2 中山 1800
2 2018年07月15日 函館記念 G3 函館 2000
3 2018年03月24日 日経賞 G2 中山 2500
3 2019年03月23日 日経賞 G2 中山 2500
1 2016年04月17日 鹿野山特別 1000万下 中山 2000
1 2016年12月11日 美浦S 1600万下 中山 1800
2 2015年10月25日 浦佐特別 500万下 新潟 1800
2 2017年01月28日 白富士S オープン 東京 2000
主催者 レース回数 1着 2着 3着 着外 賞金
2014年 地方 2 2 0 0 0 400,000
2014年 中央 2 0 0 0 2 0
2015年 中央 6 0 1 1 4 8,542,000
2016年 中央 5 3 0 0 2 44,037,000
2017年 中央 7 1 2 0 4 105,818,000
2018年 中央 6 0 1 1 4 42,602,000
2019年 中央 4 0 0 1 3 23,322,000
合計 地方 2 2 0 0 0 400,000
合計 中央 30 4 4 3 19 224,321,000

Stories コラム

2025年8月 ~サクラアンプルールとの再会~

 夏の強い陽射しを受けて〝遅咲きの桜〟が鮮やかに開花宣言。第53回札幌記念を6番人気で制したサクラアンプルールは現在日本さくら名所百選のうちの一つである北海道新ひだか町の二十間道路からほど近い距離にある新和牧場で、同じ「サクラ」のサクラオリオン、サクラゴスペル、サクラメガワンダーなどと一緒に、功労馬として暮らしています。

 14歳。栗毛の馬体は夏の陽射しを浴びてうっすらと汗をかいていましたが、まだまだ若々しい馬体は健康そのもの。現役時代に多くの名ジョッキーたちを悩ませたという激しい気性もまた、健在だそうです。今回の写真撮影、そして動画撮影の際も「馬には決して近づかないように」と強く念を押されました。見学の際は十分に距離を取って見学いただきますようお願いします。

 「今年(2025年)くらい暑いと馬はこたえるはずなのですが、本当に元気。夏バテのような症状はまったく見せません。若いということを差し引いても、ストレスに強いのだろうね」と同牧場の谷岡毅代表が案内してくれました。
 与えられた放牧地の真ん中近くで、この季節は馬にとっての天敵ともいえる虻を適度にいなしながら悠々と過ごす姿は、まさに皇帝そのもの。アンプルール(仏語で皇帝を意味する言葉)の名に恥じない振る舞いです。聞けば、半兄サクラメガワンダーは、多くの馬がそうであるように虻が苦手だそうで放牧地の中で逃げ回っています。
「かわいそうだから、厩舎に入れるのだけど、そうすると草を要求してきます。だけど、あまり太ることができない。同じ兄弟でもずいぶんと違います。サクラアンプルールは、とてもプライドの高い馬です。例えば、ぞんざいにエサを置くと食べてくれない。いつも食べる場所が決まっていて、その場所じゃないと食べてくれないのです。それに、食べる草を選びます。好きな草は上手に、きれいに食べてくれます」と苦笑い。そんなプライドの高さは育成時代から見えていたそうで、育成スタッフを乗せて走っているときも従順という言葉とは真逆の行動をとることが多かったそうです。「当時のスタッフは本当に苦労させられました。厳しい言い方をすれば、楽しく走ることを教えてあげられなかった。走ることに集中しないのです」と、もう10数年前のことを思い出しながら、しみじみと話してくれました。

 それはJRAのトレーニングセンターに移動してからも変わることなく、3歳2月にデビューしたものの、激しい気性と強い前進気勢が災いしてなかなか持てる力を発揮できず、高い能力は認められていたものの、わずか2戦のみでホッカイドウ競馬へと移籍しています。「競走馬がデビューして、競走生活を終えるまで本当に多くの人との出会いがあると思うのですが、ホッカイドウ競馬の方々との出会いがなければこの馬が重賞競走を勝つことはなかったと思います」とポツリ。門別競馬場では桑原義光厩舎に所属し、五十嵐冬樹騎手を背に2連勝。その年の暮れにJRAへの再登録を行っています。

 復帰後、連戦連勝とはならなかったですが、移籍した先の金成厩舎も辛抱強く馬と向き合い、キャリアを重ねながら力を付けます。6歳2月の中山記念では重賞初挑戦で、初連対。そして、その夏の札幌記念では、伸び悩む人気を尻目に堂々と先頭ゴールイン。管理する金成厩舎に嬉しい初タイトルをもたらしています。その後も長く現役生活を続け、7歳時の函館記念2着、また7、8歳時には日経賞で2年連続3着となりますが、8歳夏の札幌記念を最後に引退。関係者は種雄馬登録を行いますが、ここでも激しい気性が災いして早々に功労馬としての道を歩むことになりました。

 「今思うと、嫌なことは嫌とはっきりと意思表示をする馬なのだと思います。それくらい頭が良い馬です。育成時代、私がケガの治療のために注射を打った(谷岡代表は獣医師でもあります)ことを今でも覚えていて、私のことはあまり好きではないみたいです」と苦笑い。そして「デビュー前から、そして今もこの馬には手を焼かされっぱなしです。手がかかる子供ほど可愛いっていうけど…」と悪戯っぽく笑われますが「毎年、札幌記念の季節になると、思い出してもらえる。(今回の取材を通して)良かったなぁ、また日の目を見るよ」とかけた言葉には、表現できないほどの愛情が込められていました。