重賞競走
'02 皐月賞 G1
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2002年04月14日 | 皐月賞 G1 | 中山 | 芝 | 2000 |
2 | 2002年09月22日 | 神戸新聞杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
1 | 2002年02月09日 | こぶし賞 500万下 | 京都 | 芝 | 1600 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2002年 | 中央 | 9 | 3 | 1 | 0 | 5 | 170,017,000 |
2003年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 16,000,000 |
2004年 | 中央 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 中央 | 12 | 3 | 1 | 0 | 8 | 186,017,000 |
2002年の第62回皐月賞で15番人気の低評価を覆し、同レース史上唯一の単勝万馬券で大波乱の主役となったノーリーズン。
その後自身にとって最初で最後の1番人気となった同年秋の菊花賞ではスタート直後に落馬し競走中止。
その後は脚部不安と闘いながら現役を続けるも、勝ち星を挙げることができず、僅か12戦の現役生活にピリオドを打ち、2005年からは種雄馬として優駿スタリオンステーションにスタッドインしました。
とはいえ実績のあるライバルたちが続々と種雄馬になり、父ブライアンズタイムも20歳を超えてまだ現役バリバリで活躍馬を送り出していたこともあり、初年度産駒が結果を出せなかったノーリーズンは僅か5シーズンで用途変更となってしまいました。
皮肉にもその翌年にデビューしたキスミープリンスが南関東で重賞の鎌倉記念を制し、続く全日本2歳優駿でも3着に健闘。
競馬の世界に『もし』は禁物かもしれませんが、もう1年早く産まれていれば、種雄馬としてのチャンスがまだ残されていたのかもしれません。
2010年からは福島県の南相馬市にある松浦ライディングセンターに移動し、引退名馬繋養展示事業の助成を受けて、功労馬として余生を送ることになりましたが、2011年3月11日の東日本大震災で被災。
人馬ともに多くの被害が出た中、幸いにも無事だったノーリーズンでしたが、福島第一原子力発電所事故の影響で松浦さんの施設は自主避難対象区域に指定されたため、宇都宮大学へ一時避難を余儀なくされてしまいました。
その後ふたたび南相馬市へと戻り、2014年からは同市内の鹿頭ステーブルに移動、18歳を迎えた今もなお、南相馬市で毎年行われている風物詩の相馬野馬追(騎馬武者によるお行列)に出場しているのだそうです。
「うちに来てもう3年くらいになるけど、大きな怪我や病気もなく元気いっぱいに過ごしているよ。今でも野馬追が近づくと毎日近くの砂浜で運動をしているし、時間があるなら見てみるといいさ」
そう話すのは鹿頭ステーブルの鹿頭芳光さん。子供時代から野馬追に憧れ続け、自ら参加するようになって25年のベテランだそうです。
鹿頭さんの提案を受けて日を改めること2週間後。まだ薄暗い早朝に、鹿頭ステーブルから3キロほど離れた烏崎海浜公園の砂浜に到着すると、鹿頭さんの他にも続々と馬運車がやってきました。
話を聞くと、この時期には、たくさんの馬が、毎朝この海岸へと集まるのだそうです。
鹿頭さんを背にしたノーリーズンも、1キロ以上ある砂浜をゆっくりと駆け抜けること3往復、時間にして30分ほどじっくりと乗り込んでいました。
「まあ、競馬に使うわけじゃないけど砂も深いし、かなりハードなトレーニングになっていると思うよ」と話す鹿頭さん。
ここに集まる馬達が年に一度の野馬追のために丹念に乗り込まれている姿を見ていると、競走馬とはまた違った生き方がここ南相馬にはあるのだなと改めて感じることができた今回の取材でした。