重賞競走
'04 中山金杯 G3
'07 小倉大賞典 Jpn3
'08 小倉大賞典 Jpn3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2004年01月05日 | 中山金杯 G3 | 中山 | 芝 | 2000 |
1 | 2007年02月03日 | 小倉大賞典 Jpn3 | 小倉 | 芝 | 1800 |
1 | 2008年02月09日 | 小倉大賞典 Jpn3 | 小倉 | 芝 | 1800 |
2 | 2005年11月26日 | 京阪杯 G3 | 京都 | 芝 | 1800 |
2 | 2006年01月05日 | 中山金杯 G3 | 中山 | 芝 | 2000 |
2 | 2007年01月06日 | 中山金杯 G3 | 中山 | 芝 | 2000 |
3 | 2003年07月27日 | 函館記念 G3 | 函館 | 芝 | 2000 |
3 | 2003年11月16日 | 福島記念 G3 | 福島 | 芝 | 2000 |
3 | 2005年03月06日 | 中京記念 G3 | 中京 | 芝 | 2000 |
3 | 2006年03月21日 | 名古屋大賞典(中央交流) G3 | 名古屋 | ダ | 1900 |
1 | 2002年03月23日 | 遠州灘特別 1000万下 | 中京 | 芝 | 2000 |
1 | 2002年05月11日 | 下鴨S 1600万下 | 京都 | 芝 | 2000 |
1 | 2003年03月15日 | 大阪城S オープン | 阪神 | 芝 | 2000 |
1 | 2005年11月05日 | カシオペアS オープン | 京都 | 芝 | 1800 |
1 | 2006年11月26日 | アンドロメダS オープン | 京都 | 芝 | 2000 |
1 | 2007年11月25日 | アンドロメダS オープン | 京都 | 芝 | 2000 |
2 | 2004年04月11日 | エイプリルS オープン | 中山 | 芝 | 2000 |
3 | 2004年10月23日 | オパールS オープン | 京都 | 芝 | 2000 |
3 | 2006年10月21日 | オパールS オープン | 京都 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2001年 | 地方 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 99,000 |
2002年 | 中央 | 9 | 2 | 1 | 0 | 6 | 48,631,000 |
2003年 | 中央 | 11 | 1 | 1 | 3 | 6 | 72,014,000 |
2004年 | 中央 | 10 | 1 | 1 | 1 | 7 | 70,122,000 |
2005年 | 中央 | 9 | 1 | 1 | 1 | 6 | 59,959,000 |
2006年 | 中央 | 10 | 1 | 1 | 1 | 7 | 60,882,000 |
2006年 | 地方 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3,600,000 |
2007年 | 中央 | 8 | 2 | 1 | 0 | 5 | 83,088,000 |
2007年 | 地方 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2008年 | 中央 | 7 | 1 | 0 | 0 | 6 | 48,002,000 |
2009年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
合計 | 中央 | 73 | 11 | 7 | 7 | 48 | 461,943,000 |
合計 | 地方 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3,699,000 |
新千歳空港から浦河方面へ、国道235号線を車で走らせること約2時間。
九郎判官源義経が、兄頼朝の迫害から逃れ蝦夷のこの地に館を築いた伝説を持つ『判官館森林公園』を回り込むようにすると、新冠町の生産牧場が道路の左右に点在する『サラブレッド銀座』入り口が見えてきます。
ここから約20分。
山あいの道を進んだところに協和牧場があります。
1973年創業といいますから、その歴史は間もなく半世紀。
1990年にはアメリカの歴史的名牝グッバイヘイローを購入したことで世界的な話題を振りまいた牧場でもあります。
そこに、2004年の中山金杯に優勝したアサカディフィートがいます。
半兄に米国の重賞3勝馬、GⅠ競走で3着2回というkiller Diller(USA)がいる良血です。
2023年を迎えれば25歳。
当時とすれば珍しい騸馬で、デビューは3歳6月の未勝利戦。
ここで、出走経験馬を相手に、まるで力の違いを見せつけるかのように4角先頭。
502㌔の馬体を躍動させるように鮮やかに先頭でゴールを駆け抜けました。
その後、キャリアを重ねながら順調にステップアップを果たし、待望の重賞初制覇は6歳になったばかりの中山金杯。
デビュー当初は先行力を武器にしていた馬が、そのスピードを末脚に転化させることで、競走馬としての幅を持たせることができました。
それまで重賞競走に挑戦すること7回。
自慢の末脚を武器に、8度目の挑戦で待望の重賞タイトルを手中にすることができました。
あの勝利から、もう18年の歳月が流れようとしています。
「もともと寒いのは好きな馬ですし、本当に元気です。
むしろ、暑い夏が好きではないようです。
現役時代も、ほとんど夏場は競馬を使っていないでしょ。」
とスタッフの方がこっそりと教えてくれました。
現在の様子を尋ねると
「歯も丈夫で、硬いニンジンなんかも与えればバリバリ食べますよ。
朝、放牧地に放すとき、そして夕方厩舎に戻すとき。
必ずと言っていいほど走ります。走らなくていいのに。」
と周囲を冷や冷やさせているそうです。
「協和牧場の泊津分場から今の本場へと移動したとき、環境の変化にナーバスになっていた時期がありましたが、今ではすっかり元に戻りました。
生き物である以上、加齢による衰えというのは避けようがありませんが、ここで働く者すべてが長生きして欲しいと願っていますし、してくれると思います。」
と堀金場長が目を細めるほどの健康優良児(?)です。
撮影中も、見慣れぬカメラマンに向かってトコトコと。
そして、スタッフの方が撮影に協力しようと放牧地の出入り口付近に力づくと、奥の方からダッシュして戻ってきました。
「(馬房に)戻してもらえると思って、嬉しいんですよ。」
とスタッフ。
そんなアサカディフィートが過ごす馬房は、離乳した当歳馬が数多く過ごしている厩舎に置かれています。
両隣の馬房も、通路を挟んだ向かいの馬房もすべて当歳馬。
実は、これには大きな理由があって、離乳したばかりの当歳はとくにストレスから体調を崩すことが多く、舎飼いされることも珍しくはありません。
そんなとき、1頭だけ厩舎に取り残されてしまうと不安に思う馬も少なくなく、アサカディフィートが、そこにいるだけで安心してくれるようです。
いわば、精神的支柱となっています。
12月初旬での放牧時間は朝8時くらいから夕方陽が落ちる前くらいまで。
現在は新型コロナウイルス感染症対策のため、見学を休止させていただいておりますが
「ファンの多い馬で、毎年のように足を運んでくださる方もいらっしゃいます。
健康状態に不安はありませんので、状況を見ながら再開させたいと思っています。」
という嬉しいお話をいただけました。
これから、牧場は出産、そして種付けシーズンを迎えます。
ファンの方々、もう少しお待ちください。