重賞競走
'01 中京記念 G3
北海道新冠郡新冠町の豊栄牧場で繋養していたロードクロノスは、4月16日に北海道日高郡新ひだか町静内の「荒木 貴宏牧場」に移動したとの連絡がありました。
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2001年03月04日 | 中京記念 G3 | 中京 | 芝 | 2000 |
2 | 2002年07月07日 | 七夕賞 G3 | 福島 | 芝 | 2000 |
1 | 2000年08月26日 | 北海道新聞杯 1600万下 | 札幌 | 芝 | 1800 |
1 | 2000年10月01日 | 外房S 1600万下 | 中山 | 芝 | 1600 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1998年 | 中央 | 4 | 1 | 0 | 2 | 1 | 8,300,000 |
1999年 | 中央 | 10 | 4 | 3 | 1 | 2 | 61,290,000 |
2000年 | 中央 | 4 | 2 | 0 | 1 | 1 | 41,227,000 |
2001年 | 中央 | 4 | 1 | 0 | 0 | 3 | 49,995,000 |
2002年 | 中央 | 6 | 0 | 1 | 0 | 5 | 20,750,000 |
2003年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
合計 | 中央 | 30 | 8 | 4 | 4 | 14 | 181,562,000 |
ロードクロノスには、もう1つの名前があります。
「シンコウラブリイ95」。
それはサラブレッドとしての宿命かもしれませんが、生まれる前からロードクロノスは「シンコウラブリイの初仔」としての運命を背負わされていたのです。
シンコウラブリイは1989年生まれの愛国産馬。競走馬として日本に輸入されマイルチャンピオンシップなど重賞6勝を挙げた名牝でした。現役引退後はオーナーと親交が深かった赤澤芳樹氏が代表を務める大樹町の大樹ファームで繁殖雌馬となって、初めて生んだ子がロードクロノスです。当時の関係者はロードクロノスのことを「比較的華奢な産駒が多いトニービン産駒で、しかも初仔ということもあって決して見栄えのするタイプではなかった」と口を揃えています。しかも、体質が弱く、競走馬としての将来が危ぶまれたときもあったと言います。その後、育成段階は大きなトラブルなく順調に成長を重ね母シンコウラブリイと同じ藤澤和雄厩舎に所属し、主戦は岡部幸雄騎手が務めましたが、やはり若いうちは無理ができない体質だったらしくデビューは3歳秋。それでも3戦目に勝ち上がるあたりは血統のなせる業だったのかもしれません。
あれから20数年の時間が流れ、ロードクロノスは「シンコウラブリイの仔」としてではなく頑張った1頭の競走馬として、現在は新ひだか町静内東別の荒木貴宏牧場で、ブライアンズロマンやエスケープハッチなどとともに余生を過ごしています。荒木さんについては、「今日もどこかで馬は生まれる」という映画にも出演しているのでご存知の方もいるかもしれません。引退名馬が、今ほどスポットライトが当たる前から引退した競走馬のセカンドライフについて活動しており、2012年からは荒木牧場功労馬サポーターズを立ち上げて引退馬に安らかな余生を送らせているほか、行き場を失った馬を一時的に預かって管理もしています。
「ロードクロノスは、食べることが大好きな馬です。28歳になりましたが、自分の歯で食べることができるからとても元気です」という話を聞いて「この一族に共通しているのは、とにかく食べないこと。現役時代は餌を食べさせるのも苦労しました」という現役時代のエピソードを思い出しました。競走という過酷な現実から離れれば特別な良血サラブレッドではなく、1頭のサラブレッド。そんなこともこの馬は思い出させてくれました。
「今は保存の技術も進み、冬場でも良い青草が手に入りますし、シニア用のエサやサプリメントもあるのですが、やはり新鮮な青草に勝るものはないと思います。今年は春も早かったですし、春先に程よい降水量もありました。きっと青草がおいしいのだと思います。放牧地ではひたすら食べていますね」と元気なロードクロノスに目を細めています。
現在は朝5時くらいから夕方3時くらいまでが放牧時間。周囲を1歳馬と功労馬に囲まれた放牧地を与えられています。「自己中心的な性格で、年齢の割にはやんちゃ。見学者の方には、たまに噛むことがあるので気を付けてくださいと言っているのですが、馬にしてみれば攻撃ではなく、遊んでほしいのだと思います。それだけ気持ちが若いということなんでしょうね」と頼もしそうです。
「ここには32歳になったブライアンズロマンもいますので、28歳はまだまだです」と笑いながら紹介してくれましたが「1年でも、1日でも長く元気に過ごしてほしいと思っていますし、たくさんの人に馬の幸せについて考えてもらいたい。そのためには、まず現実から目を背けることなく、知ってほしい。まずは、そこからだと思っています」とポツリ。
そんな荒木さんですが 引退名馬の事業を通してたくさんの人たちと交流が持てたこと、そして応援してくれる人たちの温かみを感じ取れたことが嬉しいと言います。
馬に対する応援は、そのままそれを支援する人間たちへのエールでもあるのです。