重賞競走
'00 フェブラリーS G1
'00 ジャパンCダート G1
'98 スーパーダートダービー(中央交流) G2
'00 ブリーダーズGC(中央交流) G2
'01 ブリーダーズGC(中央交流) G2
'98 名古屋優駿(中央交流) G3
'98 グランシャリオC(中央交流) G3
'98 ユニコーンS G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2000年02月20日 | フェブラリーS G1 | 東京 | ダ | 1600 |
1 | 2000年11月25日 | ジャパンCダート G1 | 東京 | ダ | 2100 |
1 | 1998年10月30日 | スーパーダートダービー(中央交流) G2 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 2000年08月15日 | ブリーダーズGC(中央交流) G2 | 旭川 | ダ | 2300 |
1 | 2001年08月16日 | ブリーダーズGC(中央交流) G2 | 旭川 | ダ | 2300 |
1 | 1998年07月01日 | 名古屋優駿(中央交流) G3 | 名古屋 | ダ | 1900 |
1 | 1998年07月22日 | グランシャリオC(中央交流) G3 | 旭川 | ダ | 1600 |
1 | 1998年10月03日 | ユニコーンS G3 | 中山 | ダ | 1800 |
2 | 1998年12月14日 | ダービーGP(中央交流) G1 | 水沢 | ダ | 2000 |
2 | 2000年10月09日 | マイルChS南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
2 | 2001年02月18日 | フェブラリーS G1 | 東京 | ダ | 1600 |
2 | 2001年11月24日 | ジャパンCダート G1 | 東京 | ダ | 2100 |
2 | 1999年12月05日 | 東海ウインターS G2 | 小倉 | ダ | 2400 |
2 | 1999年12月15日 | 浦和記念(中央交流) G2 | 浦和 | ダ | 2000 |
3 | 1999年10月11日 | 南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
3 | 1999年04月17日 | プロキオンS G3 | 阪神 | ダ | 1400 |
5 | 2000年06月22日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
5 | 2001年10月08日 | マイルChS南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
1 | 1998年06月14日 | 菖蒲S オープン | 東京 | ダ | 1600 |
3 | 1998年05月03日 | 端午S オープン | 京都 | ダ | 1800 |
3 | 1999年11月20日 | トパーズS オープン | 京都 | ダ | 1800 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1998年 | 中央 | 8 | 3 | 1 | 2 | 2 | 76,547,000 |
1998年 | 地方 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 156,000,000 |
1999年 | 中央 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 40,393,000 |
1999年 | 地方 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 25,950,000 |
2000年 | 中央 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 235,088,000 |
2000年 | 地方 | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | 76,600,000 |
2001年 | 中央 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 91,992,000 |
2001年 | 地方 | 3 | 1 | 0 | 0 | 2 | 56,000,000 |
2002年 | 中央 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 中央 | 17 | 5 | 4 | 4 | 4 | 444,020,000 |
合計 | 地方 | 13 | 6 | 3 | 1 | 3 | 314,550,000 |
年度 | 表彰情報 |
2000年 | 最優秀ダートホース |
1998年 | 最優秀ダートホース |
2000年 | Dグレード競走最優秀馬 |
2014年に種雄馬を引退したウイングアローは、種雄馬時代と同じく青森県東北町にあるフォレブルーで日々を過ごしています。
「普段の過ごしぶりは種雄馬時代と変わりないですね。元気いっぱいですよ」
そう言うのは案内して下さった長濱隆史さん。
今年21歳となったウイングアローですが、体つきは現役時代さながらにしっかりしているし毛づやもぴかぴかしている。
顔は、よく見れば目元あたりにちょっと年齢を感じさせる気配が出てきた気もするけれど、目はまだ迫力十分で精気を感じさせます。
彼の競走馬時代や、種雄馬入りしてフォレブルーに移ってきた後の姿を何度か見た事があるのですが、その当時と変わらない“ウイングアローらしさ”を漂わせていました。
「こちらに来てからも毎年コンスタントに種付けできていましたし、もう少し種雄馬を続けさせたかったのです。
しかし年齢の影響かちょっと腰の甘さが出てきて。
大事をとって種雄馬引退という事になりました。」
なのだそうで、例えば馬が病気になった・大きな怪我をしたから・・・のような理由で引退せざるを得なくなったわけではないんですね。
ウイングアローが非常に元気でやる気満々に見えるのはそういう背景があるからなのでしょう。
馬房から出してもらうと、ちょっとカリカリッとした仕草を見せるウイングアロー。
普段はおとなしいと聞いていたのになぜ?
「今は毎日同じスケジュールで過ごしているせいか、いつもの予定と違う時間に外に出そうとハミを付けたりするとうるさい素振りを見せるんですよ。
もしかしたら“種付けに行くのか?”と思って気を入れているのかもしれません」
と長濱さんは微笑みながら言います。
また、放牧に出ていた馬たちが戻ってくる頃になると、まだ姿が見えないのにキッとその方向を見つめて睨みをきかせる様な表情を見せたりもします。
身体つきだけでなく気持ちも、ウイングアローはまだまだ衰えてないようです。
2002年に種雄馬入りしてからのべ10年以上産駒を送り出してきたウイングアロー。
2007年からフォレブルーにいるので近年の現役産駒はその多くが岩手競馬で走っています。
なかでも母トランスパランスの産駒は、
2009年生まれのトーホクアローから
2011年生まれのトーホクスマイル、
2012年生まれのトーホクフェアリー、
そして2013年生まれのウマノジョーまで4頭が揃って岩手で現役。
全きょうだいが4頭も、それも同じ競馬場で同時に走っていてなおかつそれぞれが存在感のある活躍を見せている・・・というのも珍しいのではないでしょうか。
「欲を言えばここで生まれた雌馬の産駒から活躍馬が出て、そして種雌馬となってほしいんです。
ここでウイングアローの血を繋げていければ・・・と思っているんですよ。」
ウイングアローの産駒ではアグリフェスタ、サイレントエクセル、ジーガーウイングなどが繁殖入りしていますがいずれも北海道時代の産駒。
フォレブルーに来場してからの産駒からはまだ繁殖入りした馬はいません。
2015年生まれの彼の“ラストクロップ”は奇しくも雌馬。
果たしてどんな活躍を見せてくれるのか?
2000年のフェブラリーSをはじめ中央・地方を問わず各地で活躍してきただけに現役時代からファンが非常に多かったウイングアロー。
今でも毎月の様にファンが訊ねてくるそうですし、誕生日にはたくさんのプレゼントが届くそうです。
種雄馬を引退した“功労馬”。
ですが、彼自身は自分の事をそうは思っていないのかもしれませんね。
現役時代さながらの姿を見せつつ
『オレはいつでも行けるぞ!』
みたいなやる気も感じさせつつ、そして青森の地から自分の産駒たちの活躍を見守る。
ウイングアローはそんなパワー溢れる存在として過ごしていくのでしょう。