重賞競走
'97 セントライト記念 G2
2月に本州から毎年いらっしゃる見学者様などにはお断りの連絡を出来るだけしました。
お互いを守るためだと思います。
テスコは伸び伸びと過ごしております。昼夜放牧にしてからは少しおデブになったようです。
蝦夷梅雨が終わると暑くなるので、注意深く手をかけていきます。
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1997年09月21日 | セントライト記念 G2 | 中山 | 芝 | 2200 |
3 | 1997年03月16日 | スプリングS G2 | 中山 | 芝 | 1800 |
3 | 1998年10月25日 | カブトヤマ記念 G3 | 福島 | 芝 | 1800 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1996年 | 中央 | 5 | 1 | 0 | 2 | 2 | 10,100,000 |
1997年 | 中央 | 13 | 2 | 3 | 2 | 6 | 95,182,000 |
1998年 | 中央 | 7 | 0 | 0 | 1 | 6 | 15,373,000 |
1999年 | 地方 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
2000年 | 地方 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 319,000 |
合計 | 中央 | 25 | 3 | 3 | 5 | 14 | 120,655,000 |
合計 | 地方 | 7 | 1 | 0 | 1 | 5 | 319,000 |
北の玄関口と言われる新千歳空港から、車で約40分程度でしょうか。
シャコーテスコの生まれ故郷、むかわ町。
そのむかわ町の名前の由来にもなった一級河川の鵡川は、日高山脈北部の狩振岳にその源泉があると言われ、たっぷりとミネラルを含んだ自然の恵みを届けてきました。
シャコーテスコの生産牧場の桑原牧場もその伏流沿いに構えています。
新潟3歳Sを勝ったユートジェーンや、その息子で東京ダービー2着のユートカイザー。
あるいは東海公営の怪物といわれ、東海ゴールドカップを連覇し、アンタレスS3着のトミケンライデンなどを送り出している牧場ですが、ここで26歳になったシャコーテスコが悠々自適に余生を過ごしています。
「せっかくの取材というから、しっかりと馬を洗って準備していたのだけど、放牧地で寝転がってしまって。」
と場主の桑原さんが頭をかきます。
本当に不思議なことなのですが、馬はきれいにされればされるほど、放牧地で寝ます。
科学的根拠などありませんが、肌に土がついていないと、どこか不安になるのでは、と思うほどです。
それでも、と決めポーズで写真を撮ろうとするのですが、なかなか言うことを聞いてくれません。
人間に対して反抗するような、そんな態度ではないのですが
「自分の好きなようにさせてくれよ。」
という無言のアピールのような気がして、放牧地に放してもらいました。
若々しい馬体は、肉付きもよく、毛づやもピカピカです。とても26歳には見えません。
「ひと言でいえば健康優良児です。
生まれた頃からそうだったのですが、26歳になった今も、獣医師のお世話になったことはほとんどありません。」
と桑原さん。
もちろん、生まれ持った馬の体力、資質もあると思いますが、頑張ってくれたシャコーテスコに報いようと、しっかりと管理されているからこその健康です。
以前、お邪魔させてもらったときは
「馬がストレスを感じないように広い放牧地を与え、飼い葉の量とかはしっかりと計算して与えている。」
とおっしゃっていました。
そのことを尋ねると
「今は、年齢的なこともあるので少し小さめな放牧場に変えました。」
とはいうものの、十分な広さは動画などでご確認いただけると思います。
時計の針を、さらに逆回転させて現役時代のことを訊ねると
「1番印象に残っているのはスプリングSかもしれません。」
とポツリ。
デビュー4戦目に、その年デビューしたばかりの柴田未崎騎手とのコンビで初勝利を記録したシャコーテスコは3歳になって、同じ柴田騎手とのコンビで500万下条件(現在の1勝クラス)で2勝目をあげると、当時、日本騎手クラブ会長を務めていた岡部騎手に乗り替わりスプリングSに出走し3着。
勝つことはできませんでしたが、皐月賞への優先出走権を得たレースです。
「あぁ、これでクラシックレースに参加できるのだなと嬉しかったです。」
生産者の本音かもしれません。
そして、夏の間に力をつけたシャコーテスコは秋のセントライト記念に勝利します。
このとき2着に下したダイワオーシュウは、のちの菊花賞2着馬です。
「条件戦でも3戦連続2着でしたから、勝てるとは思っていませんでした。
でも、すごくうれしかったです。」
そして、この勝利は南関東公営競馬から移籍してきた父ホスピタリティとの父仔同一重賞制覇という記録にもなりました。
当時から、シャコーテスコといえば、パドックでのんびりと歩く様子が話題になっていました。訪れるファンも
「パドックの歩きが印象的」
という方が多いそうなのですが、実はこれには秘密がありました。
当時の資料をひっくり返すと
「競馬場に行って動じないような馬にしようと、人や音に鳴らそうとした世代」
とのこと。
偶然なのかもしれませんが、この世代はシャコーテスコのほか、前述のトミケンライデンや、ユートカイザーなどがいる活躍世代でもあるのです。
今では、すっかりと牧場での生活に慣れて
「厩舎からの出し入れ、朝晩の放牧、集牧のときは立ち上がって元気さをアピールするので、いつかケガをしてしまうのではないかと心配しています。」
と苦笑いです。
「本当に頑張ってくれた馬です。
いつまでも元気でいてほしいのですが、それは生まれ持った馬の運命ですから、無理に長生きをさせるというよりも、この馬らしく少しでも長生きをして欲しいと願っています。」
という言葉には、馬に対する愛情があふれていました。