重賞競走
'97 帝王賞(中央交流) G1
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1997年06月24日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1998年12月23日 | 東京大賞典(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1997年05月28日 | かしわ記念(中央交流) G3 | 船橋 | ダ | 1600 |
1 | 1996年02月21日 | 報知GP・C | 船橋 | ダ | 1800 |
1 | 1996年03月05日 | 金盃 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 1996年04月11日 | マイルGP | 大井 | ダ | 1600 |
1 | 1997年04月09日 | マイルGP | 大井 | ダ | 1600 |
1 | 1997年12月09日 | かちどき賞 | 大井 | ダ | 1800 |
1 | 1998年11月12日 | 東京記念 | 大井 | ダ | 2400 |
2 | 1994年11月10日 | 北海道3才優駿 | 帯広 | ダ | 1800 |
2 | 1995年02月09日 | 京浜盃 | 大井 | ダ | 1700 |
2 | 1995年04月12日 | 黒潮盃 | 大井 | ダ | 1800 |
2 | 1995年05月04日 | 羽田盃 | 大井 | ダ | 2000 |
2 | 1995年06月08日 | 東京ダービー | 大井 | ダ | 2400 |
2 | 1995年11月09日 | 東京王冠賞 | 大井 | ダ | 2600 |
2 | 1996年11月18日 | 東京記念 | 大井 | ダ | 2400 |
2 | 1996年12月29日 | 東京大賞典(中央交流) | 大井 | ダ | 2800 |
2 | 1997年10月29日 | グランドCh2000 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1995年09月27日 | 東京盃 | 大井 | ダ | 1200 |
3 | 1996年08月26日 | アフター5スター賞 | 大井 | ダ | 1800 |
3 | 1996年10月30日 | グランドCh2000 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1997年02月05日 | 川崎記念(中央交流) | 川崎 | ダ | 2000 |
3 | 1997年02月27日 | 金盃 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1998年10月28日 | グランドCh2000 | 大井 | ダ | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1994年 | 地方 | 8 | 4 | 1 | 0 | 3 | 11,000,000 |
1995年 | 地方 | 7 | 0 | 5 | 1 | 1 | 77,450,000 |
1996年 | 地方 | 10 | 3 | 2 | 2 | 3 | 165,500,000 |
1997年 | 地方 | 8 | 3 | 1 | 3 | 1 | 182,100,000 |
1998年 | 地方 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 70,400,000 |
1999年 | 地方 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2000年 | 地方 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 地方 | 39 | 11 | 9 | 8 | 11 | 506,450,000 |
帝王賞の勝ち馬・コンサートボーイは故郷、船越牧場で余生を送っています。
コンサートボーイは、1992年生まれの26歳。現役時代は地方競馬で走り、帝王賞を含めて重賞6勝。
5億円を超す賞金を獲得しました。
引退後は種雄馬となり、産駒の中からザオリンポスマンが佐賀の重賞を勝ちました。
2011年から引退名馬となり、長寿の道を歩んでいます。
案内してくれたのは、船越牧場・代表の船越三弘さんです。
「だんだんと背中が垂れてきて、歯にも衰えを感じますが、体調は安定しています。
種雄馬を引退した後も去勢せず、雄馬のままです。
春は、アテ馬をすることもあります。
競走馬時代は、調教するのも大変なぐらい気性の激しい馬でしたが、今ではすっかり大人しくなりましたね。」
と、近況を伝えてくれました。
歯の衰えに合わせて、飼い葉は咀嚼しやすいメニューに工夫しているそうです。
食欲はあり、与えられた量をしっかり平らげます。
夏は広い放牧地で過ごし、それ以外の時期は馬房付きの専用放牧地で過ごしています。急に天気が悪くなっても安心です。
「この牧場は海に近いので、アブが少ないし、馬にとっては過ごしやすい場所です。
ただ、風は強いですね。
寒さが厳しい時期は、馬服を二枚着せています。」
放牧地で対面すると、その顔つきは穏やかで、時折強い風に、ロングヘアーがなびきました。
船越さんが専用の手入れ道具を持ち出すと、手入れを察知して身を構え、気持ちよさそうに受け入れました。
牧場時代のコンサートボーイは、父カコイーシーズ譲りの大きな馬だったといいます。
船越さん曰く、当時はなかなか買い手がつかず、売れ残った馬でした。
母コンサートダイナの「コンサート」に、雄馬らしく「ボーイ」を付けて、「コンサートボーイ」と名付け、当初は船越さんの自己所有馬としてデビューしました。
南関東クラシックでは全て2着という苦杯をなめ、脇役に甘んじていましたが、5歳夏の帝王賞では、JRAの強豪キョウトシチーやシンコウウインディ、バトルライン、地方の雄・アブクマポーロらを破り、見事栄冠を獲得しました。
「この馬の血統のアリダーやカコイーシーズもそうだったように、堅実というか、2着の多い馬でしたね。
帝王賞のときは、その日の朝に帝王賞を勝った夢を見ましてね。
今度こそという思いで応援に行きました。
強いメンバーが揃っていましたし、お客さんの数も多かったです。
そうした中で本当に勝ってくれて、みんなで喜びましたね。」
引退名馬となってからも当時を知るファンが、コンサートボーイに会いに来ます。
「毎年30人ぐらいでしょうか、競馬場で応援していた人もそうですし、中には、テレビゲームでこの馬を知ったという若い人もいました。
ニンジンやリンゴをいただくこともあり、ありがたく思っています。」
そうしたファンとの対面も、コンサートボーイにとっての活力になっていることでしょう。
故郷の快適な環境と、ファンの温かな声援を受けて、今後も長い引退名馬として生活を叶えられそうです。