重賞競走
'98 川崎記念(中央交流) G1
'98 帝王賞(中央交流) G1
'98 東京大賞典(中央交流) G1
'99 川崎記念(中央交流) G1
'97 東海ウインターS G2
'98 ダイオライト記念(中央交流)G2
'99 ダイオライト記念(中央交流)G2
'98 かしわ記念(中央交流) G3
'98 NTV盃(中央交流) G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1998年01月28日 | 川崎記念(中央交流) G1 | 川崎 | ダ | 2000 |
1 | 1998年06月24日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 1998年12月23日 | 東京大賞典(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 1999年02月03日 | 川崎記念(中央交流) G1 | 川崎 | ダ | 2100 |
1 | 1997年11月30日 | 東海ウインターS G2 | 中京 | ダ | 2300 |
1 | 1998年03月18日 | ダイオライト記念(中央交流)G2 | 船橋 | ダ | 2400 |
1 | 1999年03月17日 | ダイオライト記念(中央交流)G2 | 船橋 | ダ | 2400 |
1 | 1998年05月27日 | かしわ記念(中央交流) G3 | 船橋 | ダ | 1600 |
1 | 1998年09月16日 | NTV盃(中央交流) G3 | 船橋 | ダ | 1800 |
2 | 1997年06月24日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 1997年12月28日 | 東京大賞典(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2800 |
3 | 1998年10月10日 | 南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
1 | 1996年07月30日 | TVK盃 B2一 | 川崎 | ダ | 1600 |
1 | 1997年04月25日 | グリーンC A2 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 1997年05月21日 | 大井記念 | 大井 | ダ | 2600 |
1 | 1997年07月28日 | サンタアニタT | 大井 | ダ | 1600 |
1 | 1997年10月29日 | グランドCh2000 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 1998年04月16日 | マイルGP | 大井 | ダ | 1600 |
1 | 1998年10月28日 | グランドCh2000 | 大井 | ダ | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1995年 | 地方 | 8 | 3 | 2 | 1 | 2 | 9,950,000 |
1996年 | 地方 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 15,200,000 |
1997年 | 中央 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 59,190,000 |
1997年 | 地方 | 7 | 5 | 1 | 1 | 0 | 179,750,000 |
1998年 | 地方 | 9 | 8 | 0 | 1 | 0 | 451,000,000 |
1999年 | 地方 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 105,000,000 |
合計 | 中央 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 59,190,000 |
合計 | 地方 | 30 | 22 | 3 | 3 | 2 | 760,900,000 |
年度 | 表彰情報 |
1997年 | NAR年度代表馬 |
1997年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
1998年 | NAR年度代表馬 |
1998年 | Dグレード競走最優秀馬 |
1998年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
地方交流重賞の創生元年となった1995年。
JRA所属のライブリマウントやホクトベガなどが地方交流重賞を席巻する中、明け3歳の5月に大井競馬場でひっそりとデビューしたアブクマポーロ。
3歳時は一介の条件馬に過ぎなかったアブクマポーロですが、古馬になって突如本格化するとその後7歳までの現役生活で東京大賞典、帝王賞、2度の川崎記念制覇などG1を4勝。
JRAの強豪たちと互角以上に渡り合い総獲得賞金8億2千万超は当時の地方所属馬の生涯獲得賞金トップ。
『南関東の哲学者』
の称号で呼ばれるまでになり、引退レースとなったダイオライト記念まで、頂点の座に君臨し続けました。
現役引退後の第2の馬生は浦河町のイーストスタッドで種雄馬としてスタッドイン。
しかし当時はまだダート種雄馬の需要が少なく、初年度こそ46頭の繁殖雌馬と交配を行ったものの、2年目以降は種付け頭数も減少し、目立った活躍馬を送り出せないまま種雄馬を引退。
2005年に新冠町のホロシリ乗馬クラブへと移動し、乗用馬として再スタート。そして2013年からは石狩市のオーフルホースコミューンに移動し、のんびりと余生を過ごしています。
「うちに来た当初、何度か跨ってみたんだけど
『もう少し若いうちから馬術の道に進めば相当いいところまでいけたのでは?』
と思わせるセンスを持っている馬だったよ。」
そう話すのはオーフルホースコミューンの代表を務める斉藤武彦さん。
実は現役時代のアブクマポーロのことはほとんど知らなかったんだそうです。
「縁があってホロシリさんからこちらに移動することになって、名前は聞いたことあるなってくらいだったんだけど、後で調べてみてこんなすごい馬だったんだと知ってビックリしました(笑)。
とにかくファンの多い馬で毎年会いに来てくれる熱心な方もいるし、去年も50人以上の方が見学にやってきたんじゃないかな。」
と、アブクマポーロを見つめながら話す斉藤さん。
こちらに来た当初は乗馬としての仕事もしていたそうですが、引退名馬繋養展示事業の対象となったことで今は功労馬として日々を穏やかに過ごしているそうです。
そんなアブクマポーロの健康状態と近況を斉藤さんに尋ねると
「今はその日の天気を見ながら厩舎横のパドックに放牧しています。
シゲル(同施設で繋養されているシゲルホームラン)が動ならこちらは静といった感じで、砂浴びをひと通り楽しんだら、あとはじっとしていることが多いかな。
乗らなくなってからは背肉が少し落ちてきて歳を取ったように見えてしまうけど、もう25歳だしね。
それでもここに来てからは病気らしい病気もしたことがないし、飼い食いも落ちないので日々変わらず元気に過ごしていますよ。
ただ、前に奥歯の治療をしようと思ったら急にうるさくなっちゃって。今までそんなところを見せたことなかったんだけどね。結局ちゃんと治療できなかったんです(笑)。」
「ファンの多い馬ですし、最後まで面倒を見てあげようと思っています。」
そう力強く締めくくってくれた斉藤さんに寄り添うように歩く『南関東の哲学者』
心強いパートナーとともに、この場所が安住の地となってくれることを心から願っています。