重賞競走
'94 オークス G1
'95 中京記念 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1994年05月22日 | オークス G1 | 東京 | 芝 | 2400 |
1 | 1995年03月19日 | 中京記念 G3 | 中京 | 芝 | 2000 |
2 | 1994年11月13日 | エリザベス女王杯 G1 | 京都 | 芝 | 2400 |
2 | 1994年09月24日 | サファイヤS G3 | 中京 | 芝 | 2000 |
2 | 1995年05月13日 | 京阪杯 G3 | 京都 | 芝 | 2000 |
3 | 1994年03月19日 | フラワーC G3 | 中山 | 芝 | 1800 |
1 | 1994年04月10日 | 忘れな草賞 オープン | 阪神 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1994年 | 中央 | 8 | 3 | 3 | 1 | 1 | 219,757,000 |
1995年 | 中央 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 71,294,000 |
合計 | 中央 | 12 | 4 | 4 | 1 | 3 | 291,051,000 |
浦河町西幌別、天馬街道沿いに位置する谷川牧場は、明治45年創業の老舗牧場です。
1991年3月26日に同牧場で産声を上げたチョウカイキャロルは、1994年のオークスに優勝したほか、古馬になって中京記念に優勝しました。
通算12戦4勝(重賞2勝)の成績をあげ、1995年の宝塚記念(12着)を最後に、生まれ故郷に戻ってきました。
現役引退から今年でちょうど20年になります。
8頭の産駒の母になったチョウカイキャロルは、2006年産のヒラボクフレンチを出産後子宝に恵まれず、2012年の種付けを最後に母としての役目を終え故郷で功労馬生活を送っています。
「なんとか受胎させたいと、体質改善のため食べ物を変えたり“こうすると受胎しやすい”と言われている最新鋭の方法や古くから言われている方法と試行錯誤しましたが、結局子を成すことができず残念です。
しかし、今となっては余力がある内に功労馬へ移行できて良かったと思っています。」
と谷川貴英社長は目を細めていました。
昨年までは隣の放牧地に「功労馬仲間」のミホシンザンがおり、存命中はお互い意識していなかったそうですが、亡くなったあとは時折空いてしまった放牧地を眺めているそうです。
「周りに馬が全くいないわけではないし、亡くなってから半年経っているので寂しがっているわけではないんでしょうが、日々の点検作業の一環なのかも知れませんね。」
と谷川社長。
確かに、取材中も放牧地の隅々まで歩いて匂いを嗅ぎ、人が入ってくると匂いを嗅いで確認している姿は、自分の縄張りである放牧地に変わったことはないか点検しているようでした。
生まれてからずっと手のかからない優等生だったチョウカイキャロル。
「生産者は大きな病気や怪我をしたりで手がかかった馬はすごく覚えているものですが、順調だった馬のことは記憶に残らないんですよ。
オークス制覇後受けた取材でも、牧場時代のことを聞かれ、エピソードらしいものがなくて困りました。
繁殖に上がってからも出産時のトラブルもなく子育ても上手で状況は同じ。
後半受胎させるためにいろいろ試した時のエピソードはたくさんありますけどね」
と苦笑い。
それまで比較的クールで人懐っこい方ではなかったという彼女が、治療等を通して人との絆を深め、頼ってくるようになったそうです。
かつて国内サラブレッドの最長寿記録(35歳3カ月)を保持し続けていたシンザンをはじめ、その息子であるミナガワマンナ(29歳没)、ミホシンザン(32歳没)を繋養した経験がある谷川牧場は高齢馬飼養のノウハウを蓄積しているはずです。
谷川社長にその秘訣を訊ねると、答えはいたってシンプル。
「青草の生えた放牧地でストレスなく過ごさせてあげること、これに尽きますね。
今は飼料も良質で、あれこれ与える必要はありません。
馬本来が潜在的に持っている免疫力は歳を取ると下がってしまうものですが、人間と同じでストレスが一番体に悪い。
それを排除して好きなようにできる環境作りが重要なポイントだと感じます」
と教えてくれました。
誰にも邪魔されることなく、一人の時間を有意義に過ごしているチョウカイキャロルは、谷川牧場の長寿記録を更新してくれるかも知れません。
動画も公開していますので「チョウカイキャロルの近況」からご覧ください。