重賞競走
'94 天皇賞(秋) G1
'94 産經大阪杯 G2
'94 毎日王冠 G2
'93 中日スポ4歳S G3
'94 京阪杯 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1994年10月30日 | 天皇賞(秋) G1 | 東京 | 芝 | 2000 |
1 | 1994年04月03日 | 産經大阪杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
1 | 1994年10月09日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
1 | 1993年07月04日 | 中日スポ4歳S G3 | 京都 | 芝 | 1800 |
1 | 1994年05月14日 | 京阪杯 G3 | 阪神 | 芝 | 2000 |
2 | 1993年09月26日 | 神戸新聞杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
3 | 1994年01月05日 | 金杯 G3 | 阪神 | 芝 | 2000 |
3 | 1996年05月11日 | 京阪杯 G3 | 京都 | 芝 | 2200 |
5 | 1994年06月12日 | 宝塚記念 G1 | 阪神 | 芝 | 2200 |
1 | 1993年04月17日 | 春蘭S オープン | 阪神 | 芝 | 1200 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1992年 | 中央 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5,900,000 |
1993年 | 中央 | 8 | 3 | 1 | 0 | 4 | 90,550,000 |
1994年 | 中央 | 8 | 4 | 0 | 1 | 3 | 339,684,000 |
1995年 | 中央 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1996年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 11,084,000 |
合計 | 中央 | 23 | 8 | 1 | 2 | 12 | 447,218,000 |
年度 | 表彰情報 |
1994年 | 最優秀父内国産馬 |
父:サクラトウコウ、母:ネーハイテスコ、血統表を見ると母方がネーハイテスコ~マリリン~ライフレントゲン~エスパレード~ラツキーパレード~エツフオート~越竜~第三エスサーデイーまで内国産に根付いた血統を持つネーハイシーザーは、1994年の天皇賞(秋)に出走し、見事、後の天皇賞(秋)馬の優勝馬サクラチトセオーや同世代のクラシックホースのウイニングチケット、ビワハヤヒデらを抑えて優勝しました。
23歳のネーハイシーザーは、現在、新ひだか町東静内の荒木 貴宏さんの牧場で余生を過ごしています。
お伺いしたのは、10月の初旬の昼ごろ、訪問した日は、午前中からのあいにくの雨でしたが、ネーハイシーザーはおとなしく放牧地にたたずんでいました。
荒木さんの牧場は、生産牧場以外に引退馬の繋養や行き場をなくした引退馬の引き取り手の斡旋などを行う「荒木牧場功労馬サポーターズ」を設立し運営しています。
「ネーハイシーザーが優勝した天皇賞(秋)の時の2着馬だったセキテイリュウオーもうちで繋養していました。
残念ながらセキテイリュウオーは2011年の春、病気のため死亡してしまったのですが、その年の秋にネーハイシーザーを繋養していた前の牧場が繋養できなくなり緊急避難的にうちの牧場に来ました。
当初は引き受け先を探すつもりでしたが、ネーハイシーザーを預かっていることを知ったファンの方たちの声や、運命的なものも感じたこともあり、繋養することを決めました。」
と、荒木さんが繋養の経緯を教えてくださいました。
「ネーハイシーザーの現在の馬房が、セキテイリュウオーがかつて使っていた馬房ですよ。」
と、案内してくださった現在の馬房には、ファンからのプレゼントだというお守りが飾られていました。
その他に頭絡や人参などがファンからプレゼントされるなど、今でも数多くのファンに愛されている馬であることを感じるとることができました。
荒木さんは、見学しに来たファンの方に、放牧地から厩舎までの集牧作業をお手伝させてあげることもあるそうです。
「ファンの方は、集牧作業などなかなか出来る機会が無いと思うので、とても大人しい馬ですし時間が合えば、体験していただいています。」
と話をしている間も、大人しく人懐こそうにネーハイシーザーがその様子をうかがっていました。
競走馬に抱くイメージとは異なる、ネーハイシーザーが持つ独特の穏やかな空気がとても印象的でした。
荒木さんの牧場にはネーハイシーザー以外に、ブライアンズロマンとトーシンブリザードも繋養されています。