重賞競走
'91 京都新聞杯 G2
'91 鳴尾記念 G2
'94 高松宮杯 G2
'91 小倉記念 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1991年10月13日 | 京都新聞杯 G2 | 京都 | 芝 | 2200 |
1 | 1991年12月08日 | 鳴尾記念 G2 | 阪神 | 芝 | 2500 |
1 | 1994年07月10日 | 高松宮杯 G2 | 中京 | 芝 | 2000 |
1 | 1991年08月25日 | 小倉記念 G3 | 小倉 | 芝 | 2000 |
2 | 1993年01月24日 | 日経新春杯 G2 | 京都 | 芝 | 2200 |
2 | 1993年04月04日 | 産經大阪杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
2 | 1994年04月03日 | 産經大阪杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
2 | 1995年02月12日 | 京都記念 G2 | 京都 | 芝 | 2200 |
3 | 1991年12月22日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
3 | 1992年11月22日 | マイルChS G1 | 京都 | 芝 | 1600 |
3 | 1992年12月27日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
3 | 1993年12月26日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
3 | 1992年10月11日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
3 | 1993年03月14日 | 阪神大賞典 G2 | 阪神 | 芝 | 3000 |
3 | 1993年10月10日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
4 | 1991年11月03日 | 菊花賞 G1 | 京都 | 芝 | 3000 |
4 | 1992年11月01日 | 天皇賞(秋) G1 | 東京 | 芝 | 2000 |
4 | 1994年04月24日 | 天皇賞(春) G1 | 阪神 | 芝 | 3200 |
4 | 1994年06月12日 | 宝塚記念 G1 | 阪神 | 芝 | 2200 |
5 | 1994年12月25日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
1 | 1991年07月28日 | 不知火特別 500万下 | 小倉 | 芝 | 1800 |
1 | 1991年08月10日 | はづき賞 900万下 | 小倉 | 芝 | 1800 |
3 | 1991年01月19日 | 若駒S オープン | 京都 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1990年 | 中央 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7,700,000 |
1991年 | 中央 | 10 | 5 | 1 | 2 | 2 | 222,269,600 |
1992年 | 中央 | 4 | 0 | 0 | 3 | 1 | 93,230,000 |
1993年 | 中央 | 7 | 0 | 2 | 3 | 2 | 118,334,000 |
1994年 | 中央 | 9 | 1 | 1 | 0 | 7 | 149,264,000 |
1995年 | 中央 | 4 | 0 | 1 | 0 | 3 | 26,188,000 |
1996年 | 中央 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6,600,000 |
合計 | 中央 | 41 | 7 | 6 | 8 | 20 | 623,585,600 |
「有馬記念」と言えば、この馬を思い出すファンも少なくないでしょう。
このビッグレースで3年連続3着という、恐らくこの先どの馬にも真似できないような奮闘を記録したナイスネイチャです。
「これはびっくりダイユウサク」
「メジロパーマー大逃げ」
「トウカイテイオー奇跡の復活」…
それぞれ優勝馬の名シーンに隠れがちですが、その背後には健気に脚を伸ばすナイスネイチャの姿がありました。
その頑張りは末永くファンの記憶に残り、語り継がれています。
ナイスネイチャは現在、故郷・渡辺牧場で余生を送っています。
今年28歳となりますが、その顔つきは生き生きとしていて、有馬記念の頃の面影さえ感じさせます。
「ストレスのないように、体調管理に気を付けています。
年相応に老いてはきましたが、健康ですね。
歯の状態もしっかりしていますし、よく食べています。」
と、紹介してくれたのは、渡辺牧場の渡辺はるみさん。
写真撮影のため、好物のニンジンを与えてもらうと、満足そうに食べてポーズをとりました。
放牧地に置かれた牧草ロールも、仲間の馬とむしゃむしゃと食べ、食欲は旺盛のようです。
冬は午前8時頃~午後3時頃まで放牧しています。
牧場は海から近い場所にあるため、時折、海風が吹き抜けますが、馬たちはその風向きをよく読むように過ごしていました。
「海側の天気をふまえて、風の強さや寒暖の差に気を付けて放牧・集牧しています。
寒い時期はぬるま湯を与えて、気温に応じて馬服を着せています。」
放牧地でのナイスネイチャ自身はとてもリラックスしている様子で、その目は澄んで、優しく、穏やか。
体つきは老いよりも若さを強調し、四肢はしっかりと大地をとらえ、駆け出す姿は鋭さを感じるほどです。
ナイスネイチャはもともと、放牧地では1頭で過ごしていましたが、ある時期から向かいの放牧地で繋養されている引退名馬のセントミサイルを恋しがるようになりました。
セントミサイルは気性が強く、ナイスネイチャと一緒に放牧することに渡辺さんは悩みましたが、だんだんとその行動が顕著になり、同じ放牧地で繋養することを決断。
セントミサイルが蹴らないか心配されましたが、徐々に親しくなりました。
現在では、もともとセントミサイルのパートナーだったメテオシャワーと3頭で、仲むつまじく過ごしています。
「この放牧地にいる中では、ナイスネイチャが一番年上ですが、馬同士の強さでは、セントミサイルとメテオシャワーが上なんです。
3頭でいると寂しがることもなく、良い関係を築けていますね。」
3番手に落ち着くというのは、なんともこの馬らしいライフスタイルにも感じてしまいますが、引っ張ってくれる2頭の与える安心感は、さぞかし厚いものでしょう。
馬の見学には、年間約300人が訪れるそうで、競走馬時代を知る中高年層から、映像などでその活躍を知った若年層まで、幅広い競馬ファンがナイスネイチャに会っています。
振り返れば、通算成績は41戦7勝。
GⅠ勝利こそ果たせませんでしたが、重賞4勝に加えて、2着や3着も多く、6億円を超す賞金を獲得しました。
1991年~1995年は暮れの大一番・有馬記念に参戦し、3着→3着→3着→5着→9着という成績を残しました。
5年連続で出走するだけでも離れ業ですが、持ち前の堅実さを生かして何度も好走し、並々ならぬ底力を発揮しました。
「3回目に3着になった時が一番思い出深いですね。
人気はなかったんですけど、ナイスネイチャらしい走りをまた見せてくれて、嬉しかったです。」
と、渡辺さんは当時を思い出します。
もし、その頃から3連複や3連単馬券があれば、ナイスネイチャを軸に買った人であふれたことでしょう。
ナイスネイチャは、引退馬の活動に取り組んでいる認定NPO法人・引退馬協会(フォスターペアレント制度)に属し、彼の生活のために全国の会員がついています。北海道・浦河まで訪れる会員の方も、もちろん多いようで、そうした支えもナイスネイチャの元気につながっています。
2016年11月に引退馬協会から発行となった「馬の命を守れ!~引退馬協会活動記録~」の中では、これまでのナイスネイチャのエピソードが綴られており、本の表紙も飾りました。
また、同時期にはグリーンチャンネルの番組「淑子の見た北の大地2016」でも特集され、28歳になっても人気は健在です。
その母系をさかのぼれば、名種雄馬ヒンドスタンの血が流れ、35歳まで長寿を全うした浦河産の名馬シンザンと共通します。
ナイスネイチャ自身にも、強い生命力が込められているかもしれません。
「今後も健康で、安心して過ごせるように向き合っていきたい。」
そう話す渡辺さんの声を、そばで聞いているナイスネイチャ自身は、幸せに思っていることでしょう。
年が明ければ29歳となり、30歳の大台も近づいてきました。これからも心豊かに、長い馬生がめくられていきます。