重賞競走
'87 カブトヤマ記念 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1987年10月25日 | カブトヤマ記念 G3 | 福島 | 芝 | 1800 |
2 | 1986年05月18日 | オークス G1 | 東京 | 芝 | 2400 |
1 | 1986年04月20日 | たちばな賞 400万下 | 京都 | 芝 | 2000 |
3 | 1986年03月09日 | チューリップ賞 オープン | 阪神 | 芝 | 1600 |
3 | 1986年09月07日 | UHB杯 オープン | 函館 | 芝 | 1800 |
3 | 1988年10月09日 | 福島民報杯 オープン | 福島 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1985年 | 中央 | 8 | 1 | 2 | 1 | 4 | 12,958,400 |
1986年 | 中央 | 11 | 1 | 2 | 2 | 6 | 44,833,600 |
1987年 | 中央 | 10 | 1 | 0 | 0 | 9 | 32,282,600 |
1988年 | 中央 | 11 | 0 | 0 | 1 | 10 | 15,309,200 |
1989年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
合計 | 中央 | 42 | 3 | 4 | 4 | 31 | 105,383,800 |
今年、33回目の誕生日を迎えたユウミロク。
彼女はひとつ年を重ねた事を気にする素振りもなく、いつも通り過ごしていました。
33歳とは思えないくらい元気に、そしてひょうひょうとした雰囲気を感じさせます。
ユウミロクが暮らしているのは青森県・七戸町にある塚尾勝安牧場。
七戸町は、東北新幹線の七戸十和田駅ができ、大きく変貌した町なのですが、ユウミロクのいる牧場の周りは昔ながらの雰囲気を残したまま。
すぐ近くを通る新幹線も、国道4号線も、その喧噪は彼女の傍には届いてきません。
「去年の秋くらいから痩せてしまってねえ。
元気がないわけじゃないんだけど。」
隣で一緒にユウミロクを見ていた塚尾誠子さんは申し訳なさそうに言います。
聞けば去年、夫の勝安さんが体調を崩してしまって、今は誠子さんが家の仕事から彼女の世話まで一人で切り盛りしているとの事。
彼女は私が呼んでも見向きもしないのに誠子さんの姿が見えると嬉々として近寄ってきて甘えようとする。
なんだ、ちゃんと分かってるじゃないか・・・。
誠子さんが
「ユウちゃん、ユウちゃん。」
と呼ぶと、やっぱり彼女は嬉しそう。
名前を呼ばれて喜ぶ姿は33歳とは思えないくらい若々しく見えます。
「功労馬として暮らしていると毎年調査にくるのね。
馬の様子はどうか?って。
すると去年、調査に来た人たちの前で走り回ってね。
“この年齢で走る馬なんてなかなかいないよ”
って驚いてたのね。」
今回はさすがに走り回る事はなかったけれど、でも放牧場の中を絶えず歩き回る脚どりはしっかりとしていました。
飼い葉もしっかりと食べているそうで、今でもニンジンやリンゴが好物だとか。
ユウミロクは自身が活躍しただけでなく、ゴーカイやユウセンショウ、ユウフヨウホウといった活躍馬を多数送り出しただけに非常にファンの多い馬。
今でもファンが会いに来たり、贈りものが届いたりするそうです。
ユウミロクが頭絡に付けている御守りはファンの方から贈られたものですし、放牧地にもファンから送られたおもちゃがあって、ユウミロクは時々思い出したようにそれをつついて遊んでいます。
「こんな年齢になっても忘れずにいてくれるファンの方々がいるのは本当にありがたいし感謝しています。」
と誠子さん。
誠子さんの願いはユウちゃんに、ユウミロクにずっとずっと長生きして貰う事。
「今33歳でしょう?
雌馬の記録が34歳?35歳だっけ?それを越えるくらい長生きしてくれたらと思って。
今これだけ元気だから、なんとかね。」
いや、誠子さんの本当の願いは“記録のため”じゃない。
ユウミロクとできるだけ長く一緒にいたいから。
「ユウちゃんが弱っていくの、ユウちゃんがいなくなるの、想像したくないものね・・・」
雌馬の国内高齢記録はカネケヤキの34歳と231日といわれています。
青森生まれのカネケヤキが作った記録を同じ青森生まれのユウミロクが越えたなら、それは非常に興味深い記録更新になるのでしょう。
でも今は、彼女を見守る人たちと共に、できる限り長く幸せな日々を過ごしてほしい。
そう願いながら牧場を後にしました。