重賞競走
'87 天皇賞(秋) G1
'87 マイルChS G1
'88 安田記念 G1
'86 スワンS G2
'87 京王杯スプリングC G2
'86 NzT4歳S G3
'86 函館記念 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1987年11月01日 | 天皇賞(秋) G1 | 東京 | 芝 | 2000 |
1 | 1987年11月22日 | マイルChS G1 | 京都 | 芝 | 1600 |
1 | 1988年05月15日 | 安田記念 G1 | 東京 | 芝 | 1600 |
1 | 1986年10月26日 | スワンS G2 | 京都 | 芝 | 1400 |
1 | 1987年04月26日 | 京王杯スプリングC G2 | 東京 | 芝 | 1400 |
1 | 1986年05月24日 | NzT4歳S G3 | 東京 | 芝 | 1600 |
1 | 1986年08月17日 | 函館記念 G3 | 函館 | 芝 | 2000 |
2 | 1986年11月16日 | マイルChS G1 | 京都 | 芝 | 1600 |
2 | 1987年05月17日 | 安田記念 G1 | 東京 | 芝 | 1600 |
2 | 1987年06月14日 | 宝塚記念 G1 | 阪神 | 芝 | 2200 |
2 | 1988年06月12日 | 宝塚記念 G1 | 阪神 | 芝 | 2200 |
2 | 1986年10月05日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
2 | 1988年04月24日 | 京王杯スプリングC G2 | 東京 | 芝 | 1400 |
2 | 1986年01月12日 | 京成杯 G3 | 中山 | 芝 | 1600 |
2 | 1986年06月22日 | Rたんぱ賞 G3 | 福島 | 芝 | 1800 |
3 | 1987年10月11日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
3 | 1986年03月02日 | 弥生賞 G3 | 中山 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1985年 | 中央 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4,600,000 |
1986年 | 中央 | 10 | 3 | 4 | 1 | 2 | 162,733,600 |
1987年 | 中央 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 254,508,000 |
1988年 | 中央 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 123,146,400 |
合計 | 中央 | 21 | 8 | 8 | 2 | 3 | 544,988,000 |
年度 | 表彰情報 |
1986年 | 最優秀スプリンター |
1987年 | 最優秀4歳以上牡馬 |
1987年 | 最優秀スプリンター |
北海道浦河町にあるうらかわ優駿ビレッジ「AERU」に、もうすぐ32歳になろうというニツポーテイオーがいる。
厩舎に貼ってあるJRA発行のヒーロー列伝ポスターには「マイルだったら譲れない」というキャッチコピーが躍るが、天皇賞・秋でも後続に5馬身の差をつけているように、1980年代後半を代表するスピード馬だった。
現役生活を引退したのは1988年。
その後、新ひだか町(旧静内町)のレックススタッドで2000年の春シーズンまで種雄馬生活を行ったのちここにやってきたのだから、ニツポーテイオーの31年間の歴史の中で、もっとも長く過ごしている場所がここ「AERU」ということになる。
現在は朝の7時頃から夕方まで、25歳のヒシマサル、24歳のウイニングチケットとともに同じパドックで過ごしている。
「3頭の中では飼葉を食べるペースなどは一番早く、内臓面も含めて丈夫な馬です。
今まで大きなケガや病気をすることなく、元気に過ごしています。」
と紹介してくれたのは太田篤志さん。
競走馬育成牧場などの勤務を経て、昨年、ここAERUにやってきた。聞けば、ニッポーテイオーよりも年下だという。
「現役時代のニッポーテイオーは知りませんが、こうしてニッポーテイオーのような名馬を扱えることに誇りをもっています。」
と胸を張る。
名馬のプライドを尊重しながら、最大限の慈しみをもって同馬に接している。
とはいえ、ここまですべてが順風満帆だったわけではない。
「昨年、パートナーというよりも年下で子分的存在だったダイユウサクが亡くなってしまったときは、とても寂しそうにしていました。」
馬が年齢のことを知っていたかどうかはわからないが、食欲も落ち、痩せてしまったという。
今では元気を取り戻しているものの、当時はそんなニツポーテイオーの姿に、太田さんも心を痛めた。
放牧地では若い時のように走りまわったりはしないが、かなりの運動力。
与えられている放牧地を大きく動き回って草を食み、そして水を飲んでいる。
そんなニツポーテイオーを太田さんは
「自分の意思を大切にしている馬。」
と表現している。
よく言えばマイペース。
悪く言えばわがまま。
「ずっとボスだったと聞いています。
今でも馬房の中では人に対して威張っていますよ。」
と笑う。
例えば朝、飼葉を付けにくる人の気配を察すると、まっさきに要求するのはニツポーテイオーだという。
放牧地では、自分よりも若く、体の大きな馬にその座を譲っているものの、屈しているのではなくほかの2頭からは一定の距離をおいている。
ヒシマサルとウイニングチケットが比較的近くで過ごすことが多いなか、ニツポーテイオーはポツンということが多い。
ニツポーテイオーが記録した全8勝中、最少着差が5歳春の安田記念における1馬身差。
現在の姿は、いつも後続を突き離してゴールする姿と重なる。
その様は、「孤高の帝王」という言葉が良く似合う。
今でも誕生日が近くなると人参や御守りが送られてくるそうだ。
「全国にファンがいる馬で、全国から会いに来てくださいます。
そういう方々のためにも1日々々を大切にして、最長寿記録を更新して欲しいです。」
と愛情を注がれている。
動画も公開していますので「ニツポーテイオーの近況」からご覧ください。