重賞競走
'85 皐月賞 G1
'85 菊花賞 G1
'87 天皇賞(春) G1
'85 スプリングS G2
'85 京都新聞杯 G2
'87 AJCC G2
'87 日経賞 G2
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1985年04月14日 | 皐月賞 G1 | 中山 | 芝 | 2000 |
1 | 1985年11月10日 | 菊花賞 G1 | 京都 | 芝 | 3000 |
1 | 1987年04月29日 | 天皇賞(春) G1 | 京都 | 芝 | 3200 |
1 | 1985年03月24日 | スプリングS G2 | 中山 | 芝 | 1800 |
1 | 1985年10月20日 | 京都新聞杯 G2 | 京都 | 芝 | 2200 |
1 | 1987年01月25日 | AJCC G2 | 中山 | 芝 | 2200 |
1 | 1987年04月05日 | 日経賞 G2 | 中山 | 芝 | 2500 |
2 | 1985年12月22日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
3 | 1986年10月26日 | 天皇賞(秋) G1 | 東京 | 芝 | 2000 |
3 | 1986年11月23日 | ジャパンC G1 | 東京 | 芝 | 2400 |
3 | 1986年12月21日 | 有馬記念 G1 | 中山 | 芝 | 2500 |
3 | 1986年10月05日 | 毎日王冠 G2 | 東京 | 芝 | 1800 |
1 | 1985年02月23日 | 水仙賞 400万下 | 中山 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1985年 | 中央 | 8 | 6 | 1 | 0 | 1 | 243,349,200 |
1986年 | 中央 | 5 | 0 | 0 | 4 | 1 | 70,065,400 |
1987年 | 中央 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 171,264,600 |
合計 | 中央 | 16 | 9 | 1 | 4 | 2 | 484,679,200 |
年度 | 表彰情報 |
1985年 | 最優秀3歳牡馬 |
1985年 | 最優秀父内国産馬 |
1986年 | 最優秀父内国産馬 |
1987年 | 最優秀父内国産馬 |
戦後初の日本クラシック三冠馬のシンザンを父に持つミホシンザンは、1985年の皐月賞と菊花賞を優勝しクラシック二冠馬となりました。
ミホシンザンは現在、父が種雄馬としての時代を過ごした浦河の谷川牧場で余生を送っています。
「現在31歳とかなりの高齢なこともあって、さすがに以前より徐々に痩せてきてはいますが、食欲は悪くはないですよ。
多少天気が悪くても放牧させています(訪問した日は雨が降っていました)。
天気が悪い時は、午前中に厩舎に戻しますが、通常は夕方まで放牧しています。
血統なのか、父シンザン同様に彼も大変長生きです。
彼の息子のマイシンザンも長生きでしたよね(マイシンザンは今年の春に亡くなりました。 23歳でした。)
今でも、撮影などがある時に私が彼の引き手をとると顔を近づけてじゃれて噛んでくる事もあります。
この癖は父のシンザンもそうだったですよ。
癖といえば、現役時に競馬場などで熊癖〔ゆうへき〕があったけど、集牧の時間が少し遅れると早く帰りたいとこの癖が出ることもあります。
放牧地は、いつもお気に入りの場所があって、そこでのんびりと過ごしています。
ほら、そこの牧柵そばの場所、そこだけ放牧地の草がないでしょ」
と現在の状況を教えてくださったのは、谷川牧場の谷川貴英社長。
長い年月を共に過ごした人馬の絆を感じました。
「彼ね、種雄馬生活の最初はうちで繋養していたけど、浦河地区にある種馬場を一か所に統合(現:イーストスタッド)することになって、イーストスタッドに移動しました。
何日かたってイーストスタッドに行ったら、まっさきに迎えに来てくれました」
と種雄馬時代の微笑ましいエピソードも話してくれました。
ミホシンザンが30歳を迎えた頃から、訪問者数が増えてきているようで、週に3日くらいは訪問者があるそうです。
毎年ミホシンザンに会いに来るファンも多く、また、最近では現役時代を知らないようなファンも会いに来てくれるそうです。
少しでも繋養展示事業が競馬のファン拡大の一役に繋がってくれたら、と最後に話してくれました。
谷川牧場にはミホシンザン以外にチョウカイキャロルも繋養されています。