重賞競走
'18 中山大障害 JG1
'16 京都ハイジャンプ JG2
'16 阪神ジャンプS JG3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2018年12月22日 | 中山大障害 JG1 | 中山 | 障 | 4100 |
1 | 2016年05月28日 | 京都ハイジャンプ JG2 | 京都 | 障 | 3930 |
1 | 2016年09月17日 | 阪神ジャンプS JG3 | 阪神 | 障 | 3140 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2012年 | 中央 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4,100,000 |
2013年 | 中央 | 13 | 2 | 2 | 2 | 7 | 21,329,000 |
2014年 | 中央 | 12 | 0 | 2 | 0 | 10 | 9,380,000 |
2015年 | 中央(障害) | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 11,800,000 |
2015年 | 中央 | 10 | 1 | 0 | 1 | 8 | 8,900,000 |
2016年 | 中央(障害) | 6 | 5 | 1 | 0 | 0 | 128,292,000 |
2018年 | 中央(障害) | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 90,172,000 |
2019年 | 中央(障害) | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 中央 | 37 | 3 | 5 | 4 | 25 | 43,709,000 |
合計 | 中央(障害) | 12 | 7 | 3 | 1 | 1 | 230,264,000 |
かつて、と言う言葉を使うのもはばかるほど昔の話ですが『中山大障害』競走は、『華の~』という形容詞が使われるほど人気が高いレースで、1960年代後半から70年代にかけては、有馬記念の翌週に組まれ、1年を締めくくるレースでした。
年号が昭和から平成、そして令和へと移り変わる中で、人気が落ちるような時代もありましたが、ハードル界に出現したスターホースによって、再び障害競走の人気が高まっています。
今回、訪れたニホンピロバロンは、まだ記憶にも新しい2018年12月の中山大障害の優勝馬。
現役を引退したあとは、鹿児島県の霧島高原乗馬クラブで穏やかな余生を送っています。
振り返ると、その競走馬人生は波乱に満ちたものでした。
2歳12月のデビューから2着3回、3着2回と堅実な成績を繰り返して6戦目に初勝利。
ここまでの6戦はすべてダート戦でしたが、ダービー出走を目指して芝2400㍍の『あずさ賞』に出走し3着。
芝の長距離に適性を見出されて、3歳春は京都新聞杯にまで駒を進めています。
その後、タフに競走キャリアを積み重ねながらダート2400㍍戦で2勝。
自慢のスタミナを生かせるハードル界へと転向しました。
途中、大きなケガによる1年4か月という休養もありましたが、復活。
2018年の中山大障害を勝ったときは、春のグランドジャンプ以来となる8か月ぶりの実戦だったにもかかわらず、最後まで集中力を切らすことなく走りぬくなど精神的にもタフな馬でした。
対オジュウチョウサンとの対戦成績は1勝1敗。
決着をつけるため、そして大障害コースの秋春連覇を目指した春のグランドジャンプで再び負傷。
2019年から、引退名馬としての生活をスタートさせています。
「現役引退後、去勢手術を行ってから移動してきました。ここ(霧島高原乗馬クラブ)には、同じように障害馬として活躍したコウエイトライもいるのですが、この馬の方がおっとりしていて、人懐っこい感じですね。」
とは同クラブで乗馬インストラクターも務める、村岡一孝さん。
引退の原因となった脚元のケガは、今ではもうすっかり良くなり、痛がることもないそうです。
直接の原因となったのは左前肢の屈腱炎ですが、現役時代は右の前肢にも同じ病気を患っているそうで、その話だけでも壮絶だった現役生活が垣間見えます。
実は。
ここに移動してから、獣医師の方が様子を見に来た時、普段は穏やかなこの馬がずいぶんと嫌がる素振りを見せたそうです。
よほど、治療が嫌だったのでしょうか。
まだ10歳馬ということもあって、普段の運動量も豊富で、食欲も旺盛。
広い放牧地をゆっくりと、そして広範囲にわたって歩き回り、夕方近くになると、まるで食事を催促するかのように出入口のそばから離れなくなります。
あまりに食欲が旺盛なため、たまに、ダイエットのために、乗り運動を行うこともあるそうですが、ここに来たばかりの頃は、競走馬時代を思い出したように走ってしまうことがあったそうです。
今はもう、新しい生活にも慣れたようですが、やはり『走るために生まれてきた』という言葉を思い出します。
この日は、せっかく綺麗にしてもらっていたのに、放牧されるやすぐに寝転んで美しい栗毛の馬体が台無しになってしまいました。
それでも、どこか誇らしげに見えたのは、ハードル界の頂点に立った馬だけが持つオーラのゆえでしょうか。
「まだ若い馬とはいえ、これからは本格的な冬を迎えるシーズンになります。
人間と同じで季節の変わり目は、馬も体調を崩しやすいので、わずかな変化に気づいてあげることが大切なことだと思っています。」
と村岡さん。
幸いと言いますが、ここには普段からたくさんの獣医師の方々が出入りしているそうで、そういった方たちと連携して体調管理に努めているそうです。
「リゾート地にもなっている霧島高原は、夏は涼しく爽やか、冬も暖かく馬にとっても過ごしやすいと思います。
ぜひ、足をお運びください。」
と村岡さん。
長い競走生活を頑張りぬいたニホンピロバロンが1日でも長く、健康に穏やかな日々を送れるようにと願ってやみません。