重賞競走
'07 フェブラリーS G1
'05 武蔵野S G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2007年02月18日 | フェブラリーS G1 | 東京 | ダ | 1600 |
1 | 2005年10月29日 | 武蔵野S G3 | 東京 | ダ | 1600 |
2 | 2005年09月19日 | ダービーGP(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 2000 |
2 | 2006年10月28日 | 武蔵野S G3 | 東京 | ダ | 1600 |
2 | 2007年01月21日 | 平安S G3 | 京都 | ダ | 1800 |
2 | 2008年11月08日 | 武蔵野S G3 | 東京 | ダ | 1600 |
3 | 2007年11月24日 | ジャパンCダート G1 | 東京 | ダ | 2100 |
3 | 2007年06月27日 | 帝王賞(中央交流) Jpn1 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 2007年10月31日 | JBCクラシック(中央交流) Jpn1 | 大井 | ダ | 2000 |
3 | 2008年09月23日 | 日本TV盃(中央交流) Jpn2 | 船橋 | ダ | 1800 |
3 | 2008年04月27日 | アンタレスS G3 | 京都 | ダ | 1800 |
3 | 2008年07月13日 | プロキオンS G3 | 阪神 | ダ | 1400 |
4 | 2008年12月07日 | ジャパンCダート G1 | 阪神 | ダ | 1800 |
5 | 2005年11月26日 | ジャパンCダート G1 | 東京 | ダ | 2100 |
5 | 2006年11月25日 | ジャパンCダート G1 | 東京 | ダ | 2100 |
5 | 2007年05月02日 | かしわ記念(中央交流) Jpn1 | 船橋 | ダ | 1600 |
5 | 2007年10月08日 | マイルChS南部杯(中央交流) Jpn1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
1 | 2005年06月11日 | インディアT 500万下 | 中京 | ダ | 1700 |
1 | 2005年07月10日 | 鶴見特別 1000万下 | 阪神 | ダ | 1400 |
1 | 2005年08月27日 | 阿蘇S オープン | 小倉 | ダ | 1700 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2004年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2005年 | 中央 | 8 | 5 | 0 | 0 | 3 | 107,152,000 |
2005年 | 地方 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15,000,000 |
2006年 | 中央 | 5 | 0 | 1 | 0 | 4 | 35,064,000 |
2007年 | 地方 | 4 | 0 | 0 | 2 | 2 | 43,000,000 |
2007年 | 中央 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 147,304,000 |
2008年 | 中央 | 5 | 0 | 1 | 2 | 2 | 55,956,000 |
2008年 | 地方 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8,000,000 |
2009年 | 中央 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
2010年 | 地方 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
合計 | 中央 | 27 | 6 | 3 | 3 | 15 | 345,476,000 |
合計 | 地方 | 11 | 0 | 1 | 3 | 7 | 66,000,000 |
キタサンブラック、コパノリッキー、そして現役ではテーオーケインズ。次々と超が付くような大物を送り出しているのが北海道日高郡日高町のヤナガワ牧場です。
その富浜分場に21歳になったサンライズバッカスがいます。
現役時代の通算成績は38戦6勝、2着4回、3着6回。デビュー直後は芝のレースで持ち味を発揮することができませんでしたが、ダート路線へと転じてからは未勝利戦からオープン特別まで4連勝。当時、JpnⅠ競走だったダービーグランプリではカネヒキリの前に2着と涙を飲みましたが、持ち前の強烈な末脚を武器に武蔵野Sで歴戦の古馬を一蹴。ダート界の新星として名乗りをあげ、5歳春のフェブラリーSでは前年の東京大賞典優勝ブルーコンコルドを破ってGⅠウイナーへと昇り詰めました。
その後、7歳秋のエルムSを最後に大井競馬場 へ移籍。5戦を戦いましたが、かつての勢いを取り戻すことはできず引退。2011年に功労馬として、生まれ故郷のヤナガワ牧場に戻っていました。
「現役時代は厩舎でもいわゆる“親分肌”で、機嫌を損ねると手が付けられなくなるときもあったそうです。」
と、当時を知る同牧場の岩倉さん。
そんなこともあって1年間は牧場で様子を見ていたそうですが、牧場での環境にも慣れた翌2012年からレックススタッドで種雄馬生活をスタートさせています。事実上の種雄馬生活は、わずか3年と短いものでしたが2019年から引退名馬としての生活をスタートさせています。
「生まれた時からヤナガワ牧場期待の1頭でした。その時は、まさかGⅠ競走に勝ってくれるとは思いませんでした。本当に頑張ってくれました。頭が下がる思いです。」
と岩倉さん。
現在は、太陽が昇る時間から夕方まで、放牧地で悠々自適の生活を送っています。
ここ富浜分場は、主に1歳馬や翌シーズンから種雌馬となる馬が過ごすような場所です。そんな若い馬たちをサンライズバッカスは温かく見守っています。
「実は、去勢はしていません。」
と岩倉さん。種雄馬を経験しているとはいえ、今の自分の役割をしっかりと理解しており、入れ込んだりすることなく穏やかな日々を送っています。
体調も良いそうで、岩倉さんによれば、ここ数年、といいますか、ヤナガワ牧場へ戻ってから は獣医師の世話になったことは
「記憶にありません。」
とのことでした。
「歯が丈夫で、食欲も旺盛で健康そのものです。それに、この馬は草を与えても美味しいところを分かっていて、芯の堅いところは残し、柔らかくて美味しいところだけしっかり食べます。」
そんなところにも頭の良さがキラリと光ります。
「いくら体を洗っても、すぐにゴロリと寝てしまうのです。」
ということから、取材の直前にしっかりと手入れをしてくれました。
しかしサンライズバッカス、そんなことなど露知らず 、撮影してほどなくゴロリ。その様子は動画にも納められていますのでご覧ください。
近くのサンシャインパドックに馬がいないと寂しがるという一面もあるそうです。
「近くに馬がいると安心するみたいで、そんなところも愛らしいのです。」
とスタッフから可愛がられています。
「コロナの影響もあって、なかなか足を運ぶ機会もなかったと思いますが、馬はとても元気にしています。ファンのみなさま、ご心配いただいているみなさま、どうぞ安心してください。」
とのことでした。