コスモバルク
重賞競走
- '06 シンガポール国際C
- '04 弥生賞 G2
- '04 セントライト記念 G2
- '03 Rたんぱ杯2歳S G3
プロフィール
- 父: ザグレブ
- 母: イセノトウショウ
- 品種: サラブレッド
- 性別: 雄
- 毛色: 鹿毛
- 生年月日:2001年02月10日
母馬所有者: 加野牧場
- 生産牧場: 加野牧場
- 産地: 北海道三石郡三石町
Catch up with Your Old Heroes
今、あの馬はどうしてる?
北海道新冠町のビッグレッドファームで引退名馬として繋養を始めました。
情報提供者:JAIRS
Location & Conditions for Visitors
繋養者・見学条件
- 繋養展示場所
- 〒059-2425 北海道新冠郡新冠町明和120~4
-
- ビッグレッドファーム
- 展示時間
- 13時00分~15時30分
- 見学申込方法
- 連絡不要 直接訪問可
- 見学方法
- 自由見学
- 厩舎内への立ち入り
- 可
- 備考
- 見学の際は、場内の案内看板をご覧ください
Race Record
競走成績
着順 |
日付 |
レース名 |
競馬場 |
芝ダ |
距離 |
1 |
2006年05月14日 |
シンガポール国際C |
SIN |
芝 |
2000 |
1 |
2004年03月07日 |
弥生賞 G2 |
中山 |
芝 |
2000 |
1 |
2004年09月19日 |
セントライト記念 G2 |
中山 |
芝 |
2200 |
1 |
2003年12月27日 |
Rたんぱ杯2歳S G3 |
阪神 |
芝 |
2000 |
2 |
2004年04月18日 |
皐月賞 G1 |
中山 |
芝 |
2000 |
2 |
2004年11月28日 |
ジャパンC G1 |
東京 |
芝 |
2400 |
2 |
2007年05月20日 |
シンガポール国際C |
SIN |
芝 |
2000 |
2 |
2006年09月24日 |
オールカマー G2 |
中山 |
芝 |
2200 |
4 |
2004年10月24日 |
菊花賞 G1 |
京都 |
芝 |
3000 |
4 |
2005年12月25日 |
有馬記念 G1 |
中山 |
芝 |
2500 |
4 |
2006年10月29日 |
天皇賞(秋) G1 |
東京 |
芝 |
2000 |
4 |
2006年11月26日 |
ジャパンC G1 |
東京 |
芝 |
2400 |
5 |
2007年10月28日 |
天皇賞(秋) G1 |
東京 |
芝 |
2000 |
1 |
2003年11月08日 |
百日草特別 500万下 |
東京 |
芝 |
1800 |
1 |
2004年09月02日 |
北海優駿 |
旭川 |
ダ |
2100 |
1 |
2007年09月30日 |
OROC |
盛岡 |
芝 |
1700 |
1 |
2009年09月27日 |
OROC |
盛岡 |
芝 |
1700 |
2 |
2006年09月03日 |
札幌日経OP オープン |
札幌 |
芝 |
2600 |
2 |
2009年07月19日 |
せきれい賞 |
盛岡 |
芝 |
2400 |
3 |
2007年09月13日 |
瑞穂賞 |
旭川 |
ダ |
2100 |
年 |
主催者 |
レース回数 |
1着 |
2着 |
3着 |
着外 |
賞金 |
2003年 |
地方 |
4 |
2 |
2 |
0 |
0 |
2,548,000 |
2003年 |
中央 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
42,763,000 |
2004年 |
中央 |
7 |
2 |
2 |
0 |
3 |
277,076,000 |
2004年 |
地方 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
4,000,000 |
2005年 |
中央 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
27,000,000 |
2006年 |
中央 |
7 |
0 |
2 |
0 |
5 |
93,986,000 |
2007年 |
地方 |
2 |
1 |
0 |
1 |
0 |
6,300,000 |
2007年 |
中央 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
13,200,000 |
2008年 |
中央 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
9,600,000 |
2009年 |
地方 |
2 |
1 |
1 |
0 |
0 |
5,690,000 |
2009年 |
中央 |
6 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
合計 |
香 港 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
合計 |
嘉 国 |
3 |
1 |
1 |
0 |
1 |
2,169,000 |
合計 |
中央 |
35 |
4 |
4 |
0 |
27 |
463,625,000 |
合計 |
地方 |
9 |
5 |
3 |
1 |
0 |
18,538,000 |
年度 |
表彰情報 |
2003年 |
NAR2歳最優秀馬 |
2004年 |
NAR年度代表馬 |
2004年 |
NAR最優秀ターフ馬 |
2004年 |
特別賞 |
2006年 |
NAR最優秀ターフ馬 |
2007年 |
NAR最優秀ターフ馬 |
2010年 |
NAR特別表彰馬 |
Stories
コラム
2021年9月 ~コスモバルクとの再会~
2歳夏のデビューから現役最後の1戦まで、地方競馬所属にこだわり続け、国内外のレースに挑み続けたコスモバルクが余生を送っている新冠町のビッグレッドファームを訪ねました。
その現役時代を知らないファンの方も増えてきたのではないかと思いますが、コスモバルクはホッカイドウ競馬にとっては希望の星でした。売上げが低迷し、存続の危機に立たされていたホッカイドウ競馬が起死回生の打開策として打ち出した「認定厩舎制度」。
硬直的に運用されていた厩舎制度の規制を緩和して、競馬場外の調教施設を活用して、強い馬を作り、ファンに魅力的なレースを届けようという試みの第1号がコスモバルクでした。このことは、今年3月に惜しまれつつも亡くなったビッグレッドファームグループの岡田繁幸代表の強い意志の下で実現したものです。
あまり語られることはありませんが、JRA重賞初勝利を記録した2歳12月のラジオたんぱ杯2歳S、3月の弥生賞はもちろん、1番人気に支持された4月の皐月賞でさえ、ホッカイドウ競馬はシーズンオフ期間です。
田部調教師自ら何度もビッグレッドファームへと足を運び、牧場スタッフの力を借りながら馬を鍛え上げました。
レースに出走するたびに津軽海峡を越える長距離輸送を余儀なくされ、ダービーでは「暑さ」という見えない敵とも戦わなければなりませんでした。
それでも、ひたむきにレースへと挑み続けたコスモバルクの姿に多くの人が勇気づけられました。
そんなコスモバルクも20歳になりました。
サラブレッドとしては高齢の域に入っていますが、本当に元気いっぱいです。『年齢を感じさせない』というのは、この馬のためにある言葉ではないかと思うほどです。
「ここ(ビッグレッドファーム)には、現役種雄馬もたくさんおりますが、それらを含めてもこの馬が一番元気なのではないかと思います。」
とは同ファームの木村さん。
「体も若いですが、気持ちが若いです。」
JRAのクラシックをともに戦ったキングカメハメハ、スズカマンボはすでに亡くなり、ハーツクライも種雄馬生活の引退が発表されていることを思えば、衰え知らずのコスモバルクの生命力は驚き以外の何物でもありません。
夕方からの放牧時間にあわせて、スタッフが集まってくると、その気配を感じ取ったコスモバルクが急にソワソワとし始めます。
厩舎の中をせわしなく歩きまわるその姿は
「早く外に出してくれ。」
とアピールしているかのようです。
洗い場に移動し、メディカルチェック。
体についた汚れを落としてもらう間もクビを大きく上下させたり、体を動かしたりと手入れをするスタッフを手こずらせますが、そんなコスモバルクを世話するスタッフも、どこか嬉しそうです。
「若い時から夜間放牧を続けていることもあると思いますが、とにかく体力は十分だと思います。今の時期は1歳馬が坂路を使い始める時期でもありますが、そんな若い馬たちを見て刺激を受けているようです。」
まだ、坂路を走りたいのではないですか、という冗談混じりの問いかけにも
「本当にそうかもしれませんね。」
と木村さん。
走ることが大好きなコスモバルクは、与えられた広い放牧地を自由気ままに使い、ストレスとは無縁の生活。
幸せの定義なんていうものは人それぞれですが、ある意味でもっとも幸せな馬生を送っている1頭のようにも見えます。
放牧時間中は、向いの放牧地で過ごすマイネルミラノやアドマイヤマックスを見つけては、走りあったりしているそうです。
放牧地ではあまりじっとしているタイプではありませんが、何かにイラついているわけではなく『動いているのが好き』というアウトドア派。
放牧中でも、遠くに馬を見つけたり、あるいは馬の鳴き声が聞こえたりしたときの反応の速さは特筆すべきものがありました。
「食欲は旺盛ですが、しっかりと運動して自分で体を作ってくれる馬ですから、日々の管理は楽です。人間を困らせるような癖もないですし、今のところ内臓面や脚元含め、とくに心配するところはありませんが、年齢を重ねているのは事実なので、しっかりと管理していくつもりです。」
とのこと。
現在は新型コロナ感染拡大防止の意味からも一般見学は中止にしていますが
「今でも人気の高い馬です。コロナが収束したら、会いに来て、元気な姿を見てほしいですね。」
という言葉を預かってきました。