サンライズペガサス
重賞競走
- '02 産経大阪杯 G2
- '05 産経大阪杯 G2
- '05 毎日王冠 G2
プロフィール
- 父: サンデーサイレンス
- 母: ヒガシブライアン
- 品種: サラブレッド
- 性別: 雄
- 毛色: 栗毛
- 生年月日:1998年04月15日
母馬所有者: ヤナガワ牧場
- 生産牧場: ヤナガワ牧場
- 産地: 北海道沙流郡門別町
Catch up with Your Old Heroes
今、あの馬はどうしてる?
元気に過ごしています。
ぜひ見学にいらしてください。
情報提供者:所有者
Location & Conditions for Visitors
繋養者・見学条件
- 繋養展示場所
- 〒055-0005 北海道沙流郡日高町富浜145
-
- ヤナガワ牧場 富浜分場
- TEL
- 01456-2-1570
- 展示時間
- 09時00分~15時00分
- 休憩時間
- 11時30分~14時00分
- 連絡予約
- 前日まで
- 見学方法
- 自由見学
- 厩舎内への立ち入り
- 不可
Race Record
競走成績
着順 |
日付 |
レース名 |
競馬場 |
芝ダ |
距離 |
1 |
2002年03月31日 |
産経大阪杯 G2 |
阪神 |
芝 |
2000 |
1 |
2005年04月03日 |
産経大阪杯 G2 |
阪神 |
芝 |
2000 |
1 |
2005年10月09日 |
毎日王冠 G2 |
東京 |
芝 |
1800 |
2 |
2001年09月23日 |
神戸新聞杯 G2 |
阪神 |
芝 |
2000 |
2 |
2005年03月06日 |
中京記念 G3 |
中京 |
芝 |
2000 |
3 |
2002年10月27日 |
天皇賞(秋) G1 |
中山 |
芝 |
2000 |
5 |
2002年04月28日 |
天皇賞(春) G1 |
京都 |
芝 |
3200 |
5 |
2005年06月26日 |
宝塚記念 G1 |
阪神 |
芝 |
2200 |
1 |
2001年06月16日 |
野苺賞 500万下 |
阪神 |
芝 |
2200 |
1 |
2002年03月09日 |
大阪城S オープン |
阪神 |
芝 |
2000 |
年 |
主催者 |
レース回数 |
1着 |
2着 |
3着 |
着外 |
賞金 |
2001年 |
中央 |
8 |
2 |
3 |
0 |
3 |
46,817,000 |
2002年 |
中央 |
5 |
2 |
0 |
1 |
2 |
145,660,000 |
2003年 |
中央 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
2005年 |
中央 |
9 |
2 |
1 |
0 |
6 |
161,266,000 |
合計 |
中央 |
24 |
6 |
4 |
1 |
13 |
353,743,000 |
Stories
コラム
2019年3月 ~サンライズペガサスとの再会~
日高―札幌間を往復するバス「高速ペガサス号」。このコラムをご覧になっている方にも、乗ったことのある方がいらっしゃるでしょうか。今回登場するサンライズペガサスは、その高速ペガサス号が走る国道235号から、少し海側にある「ヤナガワ牧場・富浜分場」で余生を送っています。
付近には「門別温泉とねっこの湯」や種馬場の「ダーレー・ジャパン スタリオンコンプレックス」があります。夏は涼しく、海風が吹き抜け、時折濃霧が立ち込める静かな場所です。
サンライズペガサスは1998年、旧門別町のヤナガワ牧場で誕生しました。競走馬時代は芝・中長距離で活躍し、24戦6勝。G1には10戦、G2には7戦出走と、常に一線級で戦い、ターフを沸かせました。そのうち、のちにG1に格上げとなる産経大阪杯を二度優勝。その勝利はアドマイヤドン、アドマイヤグルーヴ、エアシャカール、ツルマルボーイ、ハーツクライといったG1馬に土をつける内容で、トップクラスの実力を持っていました。
競走生活の後は種牡馬となり、87頭の産駒を残しました。クリノコマチやフォローハートがJRAで特別勝ちを決め、コロニアルペガサスが地方で重賞を勝ちました。デビューした73頭に対し、実に48頭が先頭ゴールを果たし、勝ち上がり率は胸を張れる数字です。
現在は種牡馬を引退し、故郷・ヤナガワ牧場で悠々自適な功労馬生活を送っています。ヤナガワ牧場で中期育成および功労馬を担当している岩倉千年さんは、サンライズペガサスの飼養管理をしている一人。
「体調は安定していますね。高齢になって歯が弱くなっているので注意していますが、食欲は十分ありますね。飼い葉は水やお湯で食べやすくして与えています。北海道の寒い冬も、元気に乗り越えています。」
と、紹介します。
春は早朝から夕方前まで、専用の放牧地で過ごしています。放牧地へ会いに行くと、与えられた切り草をじっくり咀嚼し、きれいに平らげていました。そして、放牧地の端から端まで行ったり来たり。イライラしているわけではなく、これが彼の日課のようで、てくてくと歩いてはあたりを見渡し、住み慣れた故郷の風を穏やかに受けています。
「種牡馬引退後も去勢せず、牡馬のままです。扱いやすいし、大人しいぐらいですよ。分場には1歳の牝馬もいますが、馬っけを出して興奮することもありません。放牧地ではよく動いていますね。自分で動くことで、体をつくる馬なのだと思います。腹痛もないし、病気は全くないです。」
毎日の自発的な運動が、サンライズペガサスにとっての健康と長寿につながっているのでしょう。体には余分な肉がなく、サンデーサイレンス産駒らしい薄さと、キレのある動きは健在です。
岩倉さんは、サンライズペガサスが生まれる前から携わる一人でもあり、昔話は母ヒガシブライアンとの種付けにさかのぼります。
「サンデーサイレンスと交配することになり、その時点から期待を膨らませていました。母馬を連れて社台スタリオンステーションまで種付けに行ったことをよく覚えています。母のヒガシブライアンは競走馬としてデビューできなかったのですが、繁殖牝馬として素晴らしい子を生んでくれました。ただ、サンライズペガサスを生んでから亡くなってしまって、サンライズペガサスは乳母で育ちました。サンライズペガサスは乳母についていたこともあり、牧場にいた頃は甘えん坊で、サンデーサイレンス産駒ながら、うるさい面はなかったです。」
と、振り返ります。
平成の後半に入って、ヤナガワ牧場ではキタサンブラックやコパノリッキー、コパノリチャードといったG1馬が誕生。さらに、昨今はアレスバローズ、サンライズノヴァらがG1戦線で活躍。牧場の上昇気流を生む源となった一頭として、岩倉さんはサンライズペガサスの名を挙げます。
「サンデーサイレンスをつけて、無事にデビューして、重賞を勝って、G1でも好勝負できましたからね。牧場に実績と自信を与えてくれて、そのあとの馬たちにつながりました。私は長い間、ヤナガワ牧場でたくさんの馬と接してきました。キタサンブラックやコパノリッキーなど、どの生産馬も記憶に残っていますが、一番思い出深い馬となると、サンライズペガサスです。」
と、岩倉さんは話します。
今回の撮影のために、サンライズペガサスには厩舎前で引き馬をしてもらいました。その歩様が軽やかで、涼しい顔でカメラの前を往復しました。
幼い頃から知る岩倉さんたちと一緒の暮らしで、安心しているようです。
今年の秋には、この富浜分場にキタサンブラックやコパノリッキーの産駒が移動して来るはずで、そうした牧場のニューフェイスを視野に入れながら、意気揚々と歩くサンライズペガサスが目に浮かびます。21歳の機敏な動きは、2019年生まれの子たちにはどんなふうに映るでしょうか。