重賞競走
'00 神戸新聞杯 G2
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2000年09月24日 | 神戸新聞杯 G2 | 阪神 | 芝 | 2000 |
1 | 2000年08月20日 | 知床特別 500万下 | 札幌 | 芝 | 2000 |
1 | 2000年09月03日 | HTB賞 900万下 | 札幌 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2000年 | 中央 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 89,150,000 |
合計 | 中央 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 89,150,000 |
わずか6戦ながら、負かした相手は名だたる重賞ホースばかり。
最初で最後の重賞挑戦となった神戸新聞杯では、ダービー馬アグネスフライト、皐月賞馬エアシャカールを完封してみせました。
もしも、天皇賞に出走していたら。
もしも、クラシックに出走できていたら。
それが無意味なことはわかっているけれど、放牧地を走り回る姿を見ていたら想像が止まらなくなりました。
2000年のわずか3ヵ月間の競走生活でフサイチソニックが放った輝きは、それほどに眩しかったです。
2010年に種雄馬を引退したフサイチソニックは現在、十勝軽種馬農協種馬場の管理人でもある中川郁夫さん所有の「中川郁夫牧場」(北海道音更町)で暮らしています。
現役時代は気性が勝ったタイプでやんちゃなイメージもあったが、今となってはそんな過去が嘘のよう。
放牧地に見知らぬ人間が入ってきても一切動じることなく、だれかな?と優しい目を向けるだけ。
そして、時おり遠くの山を見つめては鼻をブルルッと鳴らします。
フサイチソニックの内面の変化は年齢的なものだけではなく、十勝に来て中川夫妻と暮らすようになってから変わってきたといいます。
「来た当初はうるさい面があってね、負けん気が強く、私も腕をがぶりと噛みつかれたこともあります。
それでも時間をかけて信頼関係を作ってこられたのかな、だんだんと落ち着いてきました。
でも19歳とまだ若いですから動きなどは活発ですよ。
うちの放牧地には坂があるのですが、放した瞬間などはもの凄い勢いで駆けていきます。」
と中川郁夫さん。
瞬く間に放牧地の奥まで走っていく姿勢などは、さすが重賞ホース。
毛ヅヤも良く、食欲旺盛。健康そのものです。
「隣の放牧地にうちの繁殖雌馬がいるのですが、その子のことが大好きでいつも近くにいて欲しいみたい。
大の仲良しですよ。」
気の合う仲間と信頼できる人との出会い。
そして、熱心なファンに今でも愛され続けている同馬。
固定ファンのみならず、近隣にサラブレッド種が少ないことから、近所の小学生や観光客がフサイチソニックだとは知らずに写真を撮ったり、さわったりすることもあるといいます。
「人気者ですね。
また、カメラを構えられるとピシッとポーズを決めるのは、スター性でしょう。
皆喜んで写真を撮っていきますよ。
でも、意外と人を見るタイプで、この人嫌だと思ったらお尻を向けて写真を撮らせてもらえないので要注意です。」
女性ならだいたい大丈夫、というから、そのあたりはさすが元種雄馬…?
いずれにしても穏やかで健康的な日々を送っていることは間違いありません。
いつまでも元気で、幸せに過ごして欲しい、というのが中川夫妻の一番の願いだそうです。