重賞競走
'98 さくらんぼ記念(中央交流) G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1998年10月20日 | さくらんぼ記念(中央交流) G3 | 上山 | ダ | 1800 |
1 | 1994年10月30日 | しもつけ菊花賞 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1995年12月03日 | 宇都宮記念 A | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1995年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2600 |
1 | 1996年05月06日 | 八汐賞 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1996年12月01日 | 宇都宮記念 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1996年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2600 |
1 | 1997年03月30日 | 開設記念 | 高崎 | ダ | 2100 |
1 | 1997年05月05日 | 八汐賞 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1997年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1998年03月02日 | 足利記念 A | 足利 | ダ | 1900 |
1 | 1998年03月29日 | 開設記念 | 高崎 | ダ | 2100 |
1 | 1998年05月06日 | 八汐賞 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1998年09月27日 | 稲穂賞 A | 足利 | ダ | 1800 |
1 | 1998年11月29日 | 宇都宮記念 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 1998年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
1 | 2000年03月26日 | 開設記念 | 高崎 | ダ | 2100 |
1 | 2000年08月20日 | 葉月特別 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
2 | 1994年06月26日 | とちぎダービー | 宇都宮 | ダ | 2000 |
2 | 1997年11月30日 | 宇都宮記念 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
2 | 1998年07月26日 | カネユタカオー記念 | 宇都宮 | ダ | 1500 |
2 | 1999年10月10日 | 宇都宮記念 | 宇都宮 | ダ | 1900 |
2 | 1999年11月21日 | 天馬杯 | 宇都宮 | ダ | 1400 |
2 | 1999年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
2 | 2000年02月02日 | 織姫賞 A | 足利 | ダ | 1900 |
2 | 2000年12月30日 | とちぎ大賞典 | 宇都宮 | ダ | 2000 |
3 | 1996年03月20日 | ダイオライト記念(中央交流) | 船橋 | ダ | 2400 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1993年 | 地方 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1,000,000 |
1994年 | 地方 | 7 | 6 | 1 | 0 | 0 | 21,000,000 |
1995年 | 地方 | 11 | 10 | 1 | 0 | 0 | 33,952,000 |
1996年 | 地方 | 9 | 7 | 0 | 1 | 1 | 44,100,000 |
1997年 | 地方 | 7 | 6 | 1 | 0 | 0 | 36,250,000 |
1998年 | 地方 | 11 | 8 | 1 | 0 | 2 | 69,350,000 |
1999年 | 地方 | 6 | 1 | 4 | 1 | 0 | 10,214,000 |
2000年 | 中央 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2000年 | 地方 | 10 | 4 | 4 | 0 | 2 | 22,259,000 |
合計 | 中央 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 地方 | 62 | 43 | 12 | 2 | 5 | 238,125,000 |
かつて、昭和初期には、全国津々浦々に競馬場が多数ありました。
それが、少しずつ減少して、現在は16都道府県に競馬場は25になってしまっています。
今は、どこの競馬場でも馬券の売り上げが好調で、競馬場の廃止議論が浮かび上がってこないのは、とても幸せなことだと思います。
北海道新ひだか町にある荒木牧場で余生を過ごしているブライアンズロマンは、競馬は2005年3月まで、南関東の場外馬券売り場として2005年12月まで行われていた栃木県の宇都宮競馬に所属し、通算成績は63戦43勝。
内田利雄騎手とのコンビでJRA指定交流重賞競走「さくらんぼ記念」を優勝しただけではなく、中山競馬場で行われているオールカマーや南関東の帝王賞などにもチャレンジしながら、平地競走におけるサラブレッド最多勝も記録(当時)していた名馬です。
現役引退後は種雄馬となりましたが、宇都宮競馬が終焉を迎えた2006年にこの馬も種雄馬生活を引退しました。
その後は支援団体が立ち上がり、現在は引退名馬としてこの場所で余生を過ごしています。
荒木牧場は、国道235号線からほんの少しだけ山あいに入ったところにある牧場ですが、風が心地よく、1日中太陽が降り注ぐ気持ちの良い牧場です。
ブライアンズロマンのほかオリオンザサンクスなどの引退名馬も余生を過ごしています。
荒木さんによれば
「年が明ければ31歳となりますが、食欲もあり、とても元気です。」
朝から夕方までの放牧時間は、隣の放牧地にいる1歳馬たちに刺激をもらいながらも元気に過ごしています。
「どんな動物でも体の基礎は食べ物。」
という荒木さんは、すべてが馬優先主義。
馬の体にとって良いもの、必要と思えるものを、天然由来のものを中心に惜しみなく与えています。
その根底にあるのは
「少しでも長く、元気で過ごしてほしい。」
普段から栄養バランスの良いものを与えていれば、年齢による衰えは仕方がないとしても、病気などを未然に防げるケースが多いからだと考えて、それを実践しています。
「もちろん、与えすぎはダメですが、今は冬場でも青草を食べさせることができるので、馬たちにとってはありがたい環境だと思います。
寒い時期に新鮮な青草を食べると、馬も生き生きしますよ。
体は正直だと思います。」
と優しい目線を送っています。
そうした甲斐あって、ここで過ごしている馬たちは年齢の割には肌ツヤがよく、とても元気過ごしています。
今回の取材中でも、少しでも良い草、美味しい草を求めてブライアンズロマンは放牧地を動き回り、草を、おいしそうに食べています。
おそらくですが、歯とあごは年齢を感じさせないくらいに丈夫なのでしょう。
「1度だけ体調を崩したことがあるのですが、それを乗り越えてからは元気を取り戻してくれました。
去勢していませんが、気が強いわけではありませんし、扱いにくいわけではありません。」
と、荒木さんは長年のパートナーに全幅の信頼を送っています。
「ブライアンズロマンのファンの方の中には、栃木県から北海道に移住された方もいらっしゃるそうです。
少しでも馬のそばにいたいからなのかもしれませんが、それだけの魅力がこの馬にはあるのだと思います。」
と話し
「年齢にゴールがあるわけではないですが、無事に30歳を迎えてくれましたし、あとは1年1年を大切に過ごしてほしい。
生き物ですから、いつかは最期の日が訪れるのでしょうが、それまではブライアンズロマンらしさを失うことなく、過ごさせてあげたい。」
と願っています。
かつて、日本の北関東ブロックに競馬場があったことを示す数少ない生き証人となったブライアンズロマンが1日でも長く、幸せな日々を送ってほしいと願わずにはいられない。そんな取材になりました。