2013年10月 -引退馬にかける思い-

常総ホースパークは、乗馬クラブの活動はもちろんですが、引退名馬繋養展示以外にも引退競走馬を乗馬として活動できるように、引退競走馬を調教し、同クラブの乗馬にしたり、調教師から紹介してもらった引退馬を他の乗馬クラブ等に紹介する活動なども積極的に行っています。
インタビューの最後に常総ホースパークの関代表が、「(引退名馬を繋養することで)少しでも競馬ファンが喜んでいただければありがたい」という言葉が印象的でした。


ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(JAIRS)
まず、乗馬クラブを始められた理由をお聞かせください。

常総ホースパーク代表 関 崇士(関代表)
振り返ってみますと、もともと中学校の頃は、将来はジョッキーになりたいとの夢を持っていて、週末は東京から那須の牧場に通って馬に乗っていました。ですが、その後成長と共に背丈が大きくなり体重が増えてしまったので、次第に、競走馬ではなく乗馬の世界で働きたいと思うようになりました。その時から、いつか自分の乗馬クラブをオープンさせたいという気持ちがありまして、約半年の準備期間を経て、2006年の4月にこの茨城の牛久市に常総ホースパークを起ち上げたというわけです。

JAIRS
現在マイネルコンドルストロングブラッドの2頭の引退名馬を繋養されていますが、そのきっかけはなんですか。

関代表
以前より近隣の武田牧場の場長である石橋さんより引退名馬の話を伺っていました。当時武田牧場にはすでに数頭の引退名馬がいたのですが、2006年のクラブ立ち上げの際に石橋場長からせっかくなら常総ホースパークでも引退名馬であるマイネルコンドルを武田牧場から引き受けて繋養してみないかとの話をいただきまして、それなら面倒を見てみようと思ったのがきっかけですね。

JAIRS
常総ホースパークでは初めての引退名馬となるマイネルコンドルを繋養してみた感想はいかがですか。

関代表
マイネルコンドル自身については、性格はとても大人しいのですが、内に力強いパワーを秘めた馬だと思いました。ここに繋養されている馬の中でもすぐにリーダーシップをとるようになり、放牧時は他の馬をまとめてくれます。
また、見学に訪問される方は、マイネルコンドルの元会員さんというよりも武田牧場で繋養されていた際にマイネルコンドルのファンとなった方たちがよく訪問されますね。大変温厚な性格からか、うちの乗馬クラブのお客様もカワイイと言ってとても可愛がられていますよ。

JAIRS
それでは、2頭目の引退名馬となるストロングブラッドは、どのようなきっかけで常総ホースパークへやってきたのでしょうか。

関代表
ストロングブラッドはもともと福島にある乗馬仲間の牧場で繋養されていたのですが、東日本大震災でその牧場が被災してしまったため、この近くの牧場に避難してきていました。その牧場ではストロングブラッドを含む避難馬3頭を一時的に預かっていたのですが、話を伺ってみると避難馬は最終的な受入牧場がなかなか決まらず、各地を転々としていたそうです。そこで、常総ホースパークで1頭預かってもらえないか?という話を頂きまして、同馬を繋養することになりました。

JAIRS
ストロングブラッドは常総ホースパークで現在どのような生活を送っていますか。

関代表
そうですね、ストロングブラッドが常総ホースパークにやってきた当初は、長かった避難生活のため体も疲労していて、神経質になっており、しょっちゅう暴れていました。しかし、ポニーと一緒に放牧するようになってから、少しずつ癒されてきたようです。もともと蹄の調子が悪かったのですが、装蹄師さんと相談しながら時間をかけて治療していくことで、爪の状態もだいぶよくなり、同時に精神的にも立ち直り性格も落ち着いてきました。
気持ちが安定してきてからは元来のやんちゃな性格を発揮してクラブの人気者になりまして、トウカイテイオー産駒ということで、トウカイテイオーのファンの方にも見学に訪問して頂いております。

(訪問時も、放牧場に放された際に元気よく飛び回ってました)

JAIRS
最後に、引退名馬を繋養してみての感想をお聞かせいただけますか。

関代表
競馬ファンの方が競走馬を引退した後もこうやって馬を応援してくれていることは大変ありがたいです。また、繋養費用を助成して頂けるのは助かります。競馬の世界で結果を出して活躍した馬たちが、引退後に生きていくための道は必要だと思いますし、活躍した馬をこうやって最後まで面倒をみることが私たちの役割かなと感じています。